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おっさんだけど、仕事辞めてアジアでブラブラするよ\(^o^)/ Vol, 51 親父

タジキスタン Road to Pamir 5日目 
2023.0824 Thu

深夜のパミールハイウェイ。
日付が変わる前からぽつぽつと始まり、いまでは間欠ワイパーを通常のワイパーにするほどに雨がしとしとと降り続いています。もしもヘッドライトを消したら、それこそ漆黒の闇でしょう。おまけに、霧まで出てきました。
少しは左ハンドルにも慣れ始め、左手でシフトレバーを探して空振りすることも少なくなった頃…。ふと隣を見ると、親父が、といってもわたしよりも年下でしょうが、腕組みをしたまま寝ています。その隣で、16歳くらいの兄貴がまだ幼い弟を抱き抱えながら眠っています。
わたしは思います。
“なんでヒッチハイクしたオレが運転してんねん!”

このパンジ川を挟んで、右側がアフガニスタン、左側がタジク。
アフガン側の山すそに、筋みたいなのがありますよね? あれ、道路なんですね。

昼間、灼熱のパミールハイウェイ。
例によってわたしは荒れた路面に嫌気が差し、疲れすぎて、そしてケツが痛くなりすぎて、チャリを漕ぐのが嫌になってしまいました。ちょうど大きな木があり、そしてうまいことにちょうど水場があったので、そこで休憩することにしました。
そこへフランス人チャリダーが通りかかります。ちなみに彼は、日本のFUJIブランドの自転車に乗っていました。
「ここの路面は全然良いほうだよ。この先50kmくらいは、この路面に感謝したくなるほどの悪路が続くからね」
彼はわたしのチャリをチラリと見て、そしてこう付け加えました。
「You had better hitchhike.」

マジな話をしちゃうと、前後4バッグ以外のチャリなんて、このパミールハイウェイでは論外。みんな自国からチャリを空輸、あるいは自走してこの場にいるのです。そういう場所なのです。

…やはりか。
うすうす感づいていました。このままいくら走っても、今夜中に次の宿にはたどり着かないことを。いまのわたしにはテントと寝袋があり、そしてこのアフガニスタンとの国境沿いの道は標高が低く、キャンプをしても凍えることはありません。
しかし、国境沿いが故にタリバンの脅威に備える必要があり、外国人のキャンプが禁止されているのです。「んなもん知ったことか!」とテントを張ろうものなら、すぐに警ら中のアーミーに見つかり、「お休みのところ申し訳ないのですが…」となります。かなりの頻度で警らのアーミーが歩いていますし、丁重な物言いで接してくれた彼らを怒らせるような真似をすることは、わたしも本意ではありません。

そうしてわたしはヒッチハイクを敢行し、場所柄でしょうか、ありがたいことに1台目のバンでヒッチハイクに成功します。
400ソモニ(約5200円)を100ソモニ(1300円)まで値切り、助手席のドアを開けたわたし。
そこにはすでに親父と4~5歳くらいの男の子が座っていましたが、そこはメルセデスのフルサイズバン。わたしもなんとか乗り込むことに成功しました。
運転手は、おそらく親父の長男でしょう。どうみてもまだ10代、なんだったら16歳くらいに見える彼は、座席を目いっぱいまで前に出し、妙に窮屈そうな姿勢で運転席に座っていました。

メルセデスのフルサイズバン。このサイズを見ると、日本のミニバンがなぜ“ミニ”なのか理解できますね。幅も長さも段違いです。ちなみに高さもね。

そして…。走り出して30秒でわかる運転の未熟さ。未熟というか、単にほとんど初めてなのでしょう。アクセルを不必要にフカし、シフト操作も選択もめちゃくちゃ、右側通行のタジクでなぜか左側に寄りまくり…。というか、傍目にも緊張しているのが分かりますし、対向車や後続車にもクラクションを鳴らされまくりです。
“…大変やな”
思いっきり他人事ですので、わたしはそう思いました。積み荷は野菜、おそらく八百屋が正業の彼ら。今日は長男の運転デビューの日なのでしょう。
荷物満載のメルセデスバンはパミールハイウェイの悪路も相まってスピードが出せませんし、もしもぶつかっても大した事故にはならないでしょう。ただし、右側を流れるパンジ川に落っこちればただでは済みませんが…。

パンジ川に注ぎ込む支流。支流は清流なのがわかります。
パンジ川それ自体には生命反応は希薄でした。溶けだした鉱物の影響なのですかね?

乗せてもらっている遠慮、というよりも、本来はチャリで走るはずだった道路や景色をちゃんと見ておきたい。その想いから、眠気を催すことなく前方を見つめていたわたし。そのわたしに、親父が声を掛けます。
「ちょっと運転してみない?」
ん? えっ? 正直言って戸惑いましたが、親父なりのサービス精神と解釈したわたし。国際免許はおろか免許証さえも日本に置いてきたまま。左ハンドルもほとんど運転したことがないですし、クルマはメルセデスのどでかいフルサイズバン。気後れる思いと運転してみたい好奇心。しばし考え、わたしはこう言いました。
「I’ll try!」

運転すること20分以上。
「もうじきポリスポイントがあるから、息子に運転を変わってよ」
親父のこの言葉で、洒落にしては長い試運転が終わりました。
わたしとしてはそれなりに楽しめましたし、メルセデスのトルク重視のエンジンもなかなかの好印象でした。ただ、どでかい車体云々よりも左ハンドルの不慣れさに大いに戸惑ってしまいましたが…。

そして、夜が訪れました。
乗った直後から思っていたことなのですが、ヒッチハイクしたのが14時半。ホログまでの距離は約250km。パミールハイウェイの悪路を鑑みれば、平均時速30も出せればいいとこでしょう。とすれば、ドゥシャンベに続くパミールハイウェイの起点となるホログに到着するのはどんなに早くても22時過ぎ。タフな一日になりますが、それでもチャリで走ることを考えればなんでもありません。なぜなら、チャリで走れば早くても4日はかかるからです。

アフガン側の砂利道を走るトラック。5kmくらいだったら楽しいでしょうが、こんなのが100kmも200kmも続くとなったら…。考えただけで吐き気がします。


途中で法面崩落のために2時間待ちとなっても、わたしは楽観的でした。チャリで走ることを考えたら、こんなの物の数に入りませんから…。
そして、22時半過ぎ、パンクのため暗闇の中リアタイヤ交換をすることになっても、わたしは楽観的でした。だって、やっぱりチャリで走ることを考えたら、こんなの物の数に入りませんから…。
タイヤ交換とそれに伴う荷物の積み直しが終わったのは、日付が変わる直前。そこから走り出して30分もしないうちに、ずっと独りで運転し続けていた長男に限界が訪れました。なんと居眠り運転をカマしたのです。親父から居眠り運転のチェックを任されていたわたしが(その指示もどうかと思いますが…)気づき,大声を出してどうにか事なきを得ました。
“これで長男の運転デビューは終わり。あとの運転は親父に任せて…。おれもちょっと眠ろうかな”
そう考えていたわたしに、親父が予想だにしなかったことを言い出します。
「じゃあ、あんた運転してよ」
ん? えっ? いやいや、どういうこと? 冗談ってことかな…? 
はたして、親父の顔はマジです。
親父はタジク語とロシア語しか話せず、片言の英語しか話せないわたしとはgoogle翻訳とゼスチャーで会話をしていました。
暗闇の中google翻訳を使うのは面倒ですし、こちらは格安で乗せてもらっている負い目もある。しかも今夜の宿は、親父の家に格安でのホームステイ…。

めちゃくちゃヤンチャな親父の次男。ちなみに、子供との遊びの切り上げ方って、どうすればいいんですかね? 放っておくとと延々わたしの部屋で遊び続けるし、そうかといって『もう自分の部屋に戻れや』っていうのもなんかアレだし…。


“親父も疲れているのかな? さっきからずっと寝ているし…”
そう思い、仕方なく運転することにしたわたし。
雨は降り、霧も出て視界は最悪ですが、幸い深夜過ぎてほとんど対向車も後続車もありません。
のんびり安全運転を続けること約1時間。
「ポリスステーションがあるから運転を代わろう」
親父がそう言い、ようやくわたしは運転から解放されることになりました。
そして運転席に乗り込む親父。座席を目いっぱい前に引き寄せ、両手でステアリングにしがみつき…。
あれ? バリバリの初心者である息子と運転姿勢がまったく同じです。そしてアクセルを踏み込む親父。クラッチのつなぎ方こそ普通ですが、安全速度というよりはかなりトロい速度でメルセデスを走らせます。そして、「ここは日本かイギリスでしたっけ?」というような極端な左側寄りの走行ライン…。

この河を渡れば違う国…。それって、どう考えているんでしょうね、お互いのことを…。



親父の運転を観察すること5分。わたしは1つの結論を導き出しました。
“親父は運転が苦手、もしくは嫌い。どちらにしても下手くそ”
メルセデスのフルサイズバンを駆り野菜を運搬する八百屋の主には考えにくいことですが、これが事実でしょう。だから息子が眠くて死にそうな顔で運転しているのにもかっかわらず、まったくもって助け舟を出さず…。あろうことか昼間にわたしの運転をチェックして、そして息子の限界が来るとわたしに運転をさせる…。
“こんな下手くそな息子の運転に一切口出しないなんて、この親父、そこだけは評価できるな”
などとぐうたら親父を評価していた自分が恥ずかしい。
おまけに、ポリスステーションを通過してからまたわたしに運転を代わるよう要請。結局そこから2時間弱、親父の家のほんの近所までわたしが運転する羽目になったのでした。

『チルしようぜ』と言って連れてこられたのがディスコ。いやいや、水タバコの約束なんですが…。ちなみに、これ撮影したのが親父です。

運転を終えたわたしに、寝ぼけ眼の親父は言いました。
「You are good driver.」
そらそうやろ。そうつぶやいてわたしは狭い助手席に乗り込み、なぜか寄りかかってくる親父の頭を邪険に押し返したのでした。

幾人か行き会ったチャリダーのうち、唯一わたしより装備が貧弱だったパトリック。パミール走破は無理にしても、楽しく旅を続けていてほしいものです。ま、この笑顔があれば問題ないでしょう!

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