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おっさんだけど、仕事辞めて北海道でチャリ旅するよ\(^o^)/ Vol,24 癒し

2024 0801 Thu
 
ときは1990年代半ば、場所はインド。
インドのムンバイ、当時風に言うとボンベイの南に位置する小さな町ゴアで、若き日のわたしは、1か月に及ぶインド旅行の最後の1週間を過ごしていました。そこで出会った日本人青年ケースケさんに、ゴアでの過ごし方をいろいろ教えてもらったのです。

初めてインドに行ったのは約30年前。なにからなにまで変わっているはずなのに、その混沌さだけはいまだに変わっていないインド。底の見えない、怖ろしい国です。

「これがソレなんだけど…」
自身の泊っている部屋で、わたしともう二人の日本人に向かって、ケースケさんは意味ありげに笑いました。
「初めてだったらマジで飛んじゃって戻ってこれなくなるかもしんないから…。最初は半分だけのほうがいいかも…?」
もう二人の日本人青年は、互いに相談し合って結論を出しました。
「じゃあ、おれたちは半分づつで…」
瞬間、ケースケさんの頬に侮蔑の笑みが浮かんだのを、わたしは見逃しませんでした。いや、それはさすがに思い過ごしでしょうか? 
「もちろん…」
ケースケさんの「おまえはどうするよ?」という問い掛けの眼を、わたしは真正面から見返しました。
「オレは1つ丸ごとヤルよ」
その選択が、忘れられない夜のきっかけとなるのですが、それはまた別のお話です。

パッと見だけでもクルマ、バイク、チャリ、リキシャー、それに人、人、人…。ちなみに、これがかの有名なバラナシはゴードウリアーの交差点です。もちろんバングラッシー、売ってます。


毒を食らわば皿まで。
なんといいますか、特に若い頃は、そういう感じは常にありました、自分のなかに。酒を呑むなら泥酔するまで吞む。思いっきりイキたいのです。アクセルを開けるなら思いっきり。ブレーキを踏むのも思いっきり。
“スリルを楽しむ” とかそんな格好良いものじゃないのですが、なんせ興奮するのが好きですから…。ちょっと危険なこととかが好きなんですよね結局。

危険すぎるー! “ウソでしょ” ってことがあり得る国、それがインド。ちなみに、国際免許はおろか普通の免許証も日本に置いたままだったのですが、ラクショーで問題なし。寛容すぎるー!


そんなわたしの青年期に流行り出した言葉が『癒し』。もちろん昔からあった言葉ですし、現在では『癒しの宿』みたいにキャッチコピーなどでも定番中の定番の言葉ですが、当時はそれが新しい言葉として映るほど、普段は使われない言葉でした。
“なんだそれ…!?”
わたしは吐き捨てました。癒し…? なんで癒されなアカンねん? そんな疲れてへんわい! 
肩ひじ張って生きることが格好良いとされる時代を生きてきたわたしにとって、『癒し』とは、負け犬が自分を正当化する言葉のように思えたのです。

いまは『癒し』大好きです! ネコ画像だって大好き! だって、おっさんですから。疲れてますから。自分の弱さを認めることができますから。



羅臼温泉野営場を出発し、コンビニに着いたのが朝7時前。そこで朝飯をゆっくり食ってから、15km以上離れた目的の渓に向けて出発しました。どうせ先行者など居るはずないのですから、これくらいのんびりでも問題なし。もちろん朝まずめを狙ったほうが釣れるのでしょうが、そんな細かいことは北の大地には関係なし。自分のペースでよいのです。
道路わきの広場にチャリを停め、ウェーディングスタイルに着替え、ヒグマ除けの電気柵を外して、林道を歩くこと5分。午前9時過ぎというところでしょうか、とある羅臼の渓に入渓しました。

こんな静かな流れのどこにオショロコマが居るのか? 居るんですな、これが。


その渓は、峻険な知床の渓としては例外的に勾配がなだらかで、なんなら湿原地帯を流れる川のようにうねりながら知床半島の中央部、つまり山岳地帯に向かって伸びています。水量も少なく穏やかに流れるこの渓は、その昔はアイヌ人が知床の横断路として、渓の側を歩いていた、そんな記録もあります。それなりの渓幅がありながらも水量が少ないので、渓の中にいるにもかかわらず、水音がほとんどしません。大岩や淵などもなく、ただただ鏡のように静かな流れが続きます。踝が隠れるか隠れないか、そんな流れの中を歩きながら、独りごちました。
“さぁて…。サカナは居ますかいな…?”
渓底は流れに磨かれた小さな石が敷き詰められ、淵も浅瀬もありません。上流に堰堤などあるわけない、太古からの自然そのままの清らかな流れ。その流れの真ん中に立ち、ポーンとルアーを前方に放ります。いつもの調子でリールを巻くと、なんと、どこからともなくサカナが集まってくるのです。
“えっ? マジで…?”
腹や胸鰭をオレンジ色に染めたオショロコマが、四方八方からルアーめがけて突進してくるのです。サイズ的には、そうですね、20cm弱くらいでしょうか。あるものはルアーにかぶりつこうと果敢に攻撃し、あるものはルアーが水面から離れるまでじっと見つめ、あるものは仲間の狂乱ぶりにつられて自分も理性をなくし…。

ため息が出るほどに美しいオショロコマ。小振りですが、その俊敏性や獰猛さには目を見張るものがあります。軽量級のハードパンチャーみたいなもんですかね。


わたしのルアーは、フックを♯6のカエシなしシングルに交換してあります。ただでさえ釣りが下手なのに、このサイズのオショロコマの小さな口では、なかなかシングルフックを咥えてくれません。でも、それで全然OK! 充分に、めちゃくちゃ楽しいのですな。
わたしの釣りは少し変わっていて、極論を言えば、サカナさえいれば釣れなくても良いのです。はっきり言ってしまうと、ルアーを追ってきて、ルアーに引っかかった時点で『釣った』みたいなもんなのです、自分のなかで。
カエシなしのシングルフックなのでバラシが異常に多いですが、上記の理由で全然OK。なんならタモなど持ってないですし、釣ったサカナを喰うことはおろか写真に収めることもほとんどしません。
そりゃデカいほうが嬉しいですが、基本的にデカかろうが小さかろうが、サカナはサカナ。狙った場所で狙った通りに釣ることができれば、それがすべてなのです。
シングルフックなので、サカナに一切触れることなくリリースできますし、不器用なわたしが間違って自分の指に刺してしまっても、「痛てて…」くらいで済んじゃうんですな。
どこかの誰かが言っていた
「渓流釣りは、下手なくらいでちょうど良い」
この格言を、わたしは忠実に守っています。釣行数に比して釣りが異常に下手クソ。それが、わたしの渓流釣りです。

こういう堰堤でデカめのニジマス釣っても、そんなに愉快ではないんですな、わたしにとっては。いや、愉快じゃないとか言うと、それほそれで言い過ぎなんですけれども…。
やっぱり大自然の中で、自然にできたポイントで釣りたいんですよね、サカナを。


癒し…。これは癒し意外のなにものでもありません。
日本が誇る秘境『知床半島』の渓で、独り、竿を振る。わたしを中心にして、半径1km以内には、おそらく誰もいません。鏡のように静かな渓の水。遡行に危険な箇所など皆無で、耳に聞こえるのは小鳥のさえずりのみ。そのまま飲めそうなほどの清流は限りなく透き通り、どこにも隠れるべき場所がなさそうでありながら、ルアーを放れば幾尾ものオショロコマが集まってくる。オレンジ色に染まるオショロコマは機敏そのもので、わたしの足許で、ピンク色のルアーのすぐ後をオレンジ色が駆け抜けていくのです。

こういう風にガッツリ咥えてもらうと、なんというか釣り師冥利に尽きますな。


その昔、アイヌが畔を歩いて知床を横断していたというこの渓。悠久のときを経て、いまに流れています。わたしの幾世代あとにも、この流れは続いていくのでしょうか。幾世代あとの釣り人にも、オショロコマは遊んでくれるのでしょうか。

こんな流れのなか、幾尾ものオショロコマが足元までルアーを追ってくるのです。アガるー!


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