おっさんだけど、仕事辞めてアジアでブラブラするよ\(^o^)/ Vol, 80 遺憾
エスファハーン
2023.1017 Tue
ブラジルはアマゾンの奥地に『ヤノマミ』という少数民族が住んでいます。
彼らは隔絶された土地で暮らしていたため、近代まで自らの伝統的な生活を維持し続けていました。率直に言うと、“原始的” な生活をしていたわけです。
そんな彼らも、やがて時代の波に飲み込まれます。ブラジルという大国の中にあって、その独自性を完全に維持し続けるなど不可能ですから…。
彼らの現状は知りません。が、わたしはラジオで非情なニュースを耳にしました。ヤノマミの若者の自殺が急激に増加しているというのです。
政府の後押しもあって、ヤノマミの若者がブラジル社会に参画し、やがて社会の荒波に嫌気が差しアマゾンに帰っていく。しかし、都会の味を知ってしまった若者は、もはやアマゾンの生活に馴染むことができない…。
とんでもなく悲しい話です。地方出身者のわたしは、この気持ちがほんの少しだけわかります。
10月16日午後6時半。
イランはイスファハーンの西にあるSar Agha Seyedという小さな村のホームステイから、この文章を書いています。
この村は、急峻な山肌に沿って家屋が建てられ、家屋の屋根自体を道として使うという、世界的にも珍しい建築方法を採っています。
イランの大都市エスファハーンからバスを乗り継ぐこと8時間、サルアガセイエッドに降り立ったわたしは、村人からこう呼ばれました。
「マスター」
7~8年前のweb日記には、こう書いてありました。
「イランの秘境で、純朴な人たちが住む珍しい建築方法の家に、ホームステイさせてもらった」
正直に言ってしまうと、わたしはフォトジェニックな建築物にも、その家にホームステイさせてもらうことにも、そんなに興味はありません。わたしが興味あるのは、単に「イランの田舎」です。どんな人たちが住んでいて、どんな感じの暮らしをしているのか?
もちろん外国人を泊めることができる宿泊施設があることが前提となるので、純粋な田舎は無理でしょう。だから、宿泊施設がある田舎=田舎の観光地に行くことにしたのです。
サルアガセイエッドで、わたしは特になにもするつもりはありませんでした。ただ、景色の良い場所に座り、チャイでも飲みながら、冷やかしに来た地元の人たちと駄弁る。そんな時間を想像していました。
しかし、村に到着しバスを降りた瞬間、バスのドライバーから紹介された人にこう言われました。「宿はこちらですよ、マスター」
とりあえず荷物を置き、「村を散策してくるから」と宿の主に言うと、主は少年を呼びました。どうやら、その少年が村を案内してくれるようです。
少年の後に続き、わたしは村を歩きました。それは、一言で言うと、味気ない時間でした。当然です。少年は村の散策にまったく興味が無いからです。
村人の生活を覗き見る、東洋から来たガイジン。そんな居心地の悪さを感じながら、わたしは少年の後を追いました。途中、一人の少女がドアを開きかけましたが、わたしを見て閉じてしまいました。何人かの村人が、意味ありげに笑いました。そんな村人たちの反応に興味のないフリをし、わたしは彼らを遣り過ごしました。
村の案内が終わると、「独りで散歩してくる」と主張するわたしに、少年にこう言いました。
「迷うからダメだよ、マスター」
大丈夫。そう言い残し、わたしは少年に背を向けました。
ほどなくして、違う少年が一人、また一人とわたしに付いてきました。村を案内してくれるというのです。彼らと共に歩いていると、最初の少年が戻ってきました。そして、なにやら二人の少年と喧嘩腰の言い合いをし、わたしに
「宿に戻ろう、マスター」
と呼び掛けました。
従うしかありません。なぜなら、“ガイジンの案内には利権が伴う” からです。宿の主から依頼された少年には、わたしを案内する権利があり、後から来た二人の少年にはその権利が無いのです。二人の少年は、わたしだけに見えるように人差し指と親指をこすり合わせました。お金を要求する仕草です。それに気づかないフリをし、わたしは宿に向かいました。
結局この後、土産物を要求してきた宿の住人にわたしは閉口。完全にヘソを曲げて独りラップトップPCを開くのですが、そこからなぜか主を交えた4人の地元住人とシビアな話題に発展しました。
「ヒロシマ、ナガサキ。原爆を2発も落としたアメリカと、なぜ日本は仲良くするのか?」
「日本はアメリカの味方なのか?」
「なぜ日本人は結婚しないのか?」
「日本政府はなぜイラン人にビザを発行しないのか?」
「日本はイランを敵国と認識しているのか?」
などなど、率直な意見をぶつけられたわたしは、内容が内容なだけに、本意が正確に伝わるようgoogle翻訳を駆使して意見交換をしました。
ちなみに、わたしの
「イラン人って、やっぱりアメリカが嫌いなの?」
という質問には
「そりゃ当たり前だろ」
と被せ気味に返答したのは印象的でした。もちろん、その直後に皆で笑い合うくらいの余裕はありましたが…。
意外に有意義な夜を過ごし、そして朝を向かえました。
早朝6時、バスは村を出発します。暖気をしているバスには、すでに何人かの村人が乗っています。静かなはずの村に、消音材の飛び散ったマフラーからディーゼルエンジンの野太い排気音が響いていました。
荷物をバスに置いたまま外に出て、村を眺めました。スマホを取り出し、写真を撮ります。もう二度と、この村に来ることはないでしょう。
昨夜、わたしは尋ねました。
「この村の主な生業はなんなの?」
「牧羊ね」
この村には珍しく、ジーンズを穿いた女性がそう答えました。一応この村を一通り歩いたのですが、いま、牧羊で生計を立てている村とは到底思えませんでした。
「1000年の歴史があるのよ」
誇らしげに言う女性。
わたしは曖昧に頷きました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?