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おっさんだけど、仕事辞めて北海道でチャリ旅するよ\(^o^)/ Vol,36 食堂

2024 0823 Fri
 
わたしが大学生だった1994年から1998年。
バブルこそ崩壊していましたが、1990年代半ば頃までは、まだその残り香が漂っていました。
「明らかに調子コキ過ぎてたよね」
という反省がありつつも、その後30年以上も続くことになる経済停滞など誰も予想だにしていませんでした。

バブル景気ってやっぱり異常でしたよ。普通ではなかった。ああいう好景気を懐かしみ、その思い出に縛られるよりも、新たなより良い社会の創造を目指すべきです、日本は。


大学生になり、本格的にアルバイトデビューしたわたしは、ある事実に気付きます。
「なるほど…。時間=カネなんだな」
コンビニ店員にしろ居酒屋のホールにしろ、アルバイトでカネを稼ぐという行為は、労働力=時間を提供し賃金を得る行為です。若く、阿呆で、そして学生という本業があったわたしは、将来設計など余計なことを考えずに、寝る時間を削ってまでアルバイトに精を出しました。貯金という概念などあるわけないですから、そのすべてをバイクやクルマ、そしてそれらを使った交遊費に当てて…。
長く続けたアルバイトの1つが、夜勤の倉庫整理です。難しいこと一切無し、気を遣うこともまったく無し。コンビニ配送のトラックに積む仕分け済みの荷物を整理し、同じくトラックがコンビニから回収したカゴ台車を整理するだけ。これプラス昼間、単発で入る引っ越しや土木作業で、収入は月に30万円を超えることもありました。

忘れがちですけど、手段なんですよね、カネって…。目的じゃなくて…。…あ~カネ欲しい!


この夜勤バイトには、ある楽しみがありました。夜勤明けに市場で食べる、おばちゃんのご飯です。
アルバイト先からバイクで5分、帰宅するまでの途中に、青果市場がありました。その市場の敷地内の食堂がサイコーだったのです。セミバイキング形式と言いますか…。きんぴらごぼうや切り干し大根、ナスの揚げ浸しなど、小鉢料理的なものが入った大皿が幾種類も並ぶ店内で、メインとなる焼き魚や唐揚げ的な料理を皿に盛り…。そうして皿の余った部分に小鉢料理的なやつをいっぱいいっぱいに詰め込むのです。

コレ系の日本版、市場版と想像してもらえれば。飯も旨いし気風も良い。サイコーだったぜ!

レジに行き、
「ご飯大盛でお願いします」
と伝えると、
「う~ん、ヨンハチ」
などと言いながら、おばちゃんがマンガ日本昔話に出てくるような山もりご飯と味噌汁をお盆に載せてくれ、480円を支払い、狭い店内で飯を喰らうのです。
ちなみに、大食いで鳴らすわたしがいくらおかずを盛っても、600円を超えることはまずありませんでした。一度デカい友人と一緒に行ったとき、店がヒマだったこともあり、おばちゃんがその友人にこれ喰い、あれ喰い、とあれこれ世話を焼いていました。人の好い友人はそのたびに「はい」と同意し、勧められるがままに皿におかずを盛っていき…。
「う~ん、ナナハチ」
と驚異の700円越えを叩きだしました。ちなみに、ご飯もおかずも超超超大盛。
「腹が千切れるかと思った」
とは後の友人談です。
閉店間際に行ったときなど
「これ、あとで食べよし」
などと言いながらお弁当を持たせてくれたこともありました。

このおこわもご馳走してもらったもの。ホントいただきものが一番旨い! わたしもどこかで誰かにお返ししなくちゃですな。


 
…世間の荒波に揉まれ。それに抗うべく、わたしもすっかり汚れてしまい…。
永らく忘れていましたが、今回の北海道旅で思い出しました。
定食屋ハンター。
若き日のわたしは、目につく定食屋を手当たり次第に訪れる、定食屋ハンターを自認していたのです。

幸せ配達人、播州の酒樽、姫路の桑田佳祐など、数々の異名をもっていた若き日のわたし。定食屋ハンターもそのうちの一つです。…もちろんすべて自称ですが。


 
今日も今日とて、Googleマップで「定食屋」「食堂」などで検索し…。
利尻島のとあるキャンプ場からほど近い、ある定食屋に入りました。時間は、…そうですね、13時前だったでしょうか。広くない店内はほぼ満席。カウンターも埋まっていたので、仕方なく4人掛けのテーブルに1人で座らせてもらうことにしました。
その多くが家族経営であることが多い、北海道の食堂。待ち時間は長めですが、そんなの当然織り込み済み。むしろ現代の過剰で意味のないサービスが苦手なわたしは、スマホで利尻島の情報を調べながら待つこと数分。
と、ガラリ戸が開き、1人の若者が入店してきました。とっさに顔を上げ、店内を見渡します。そして、若者に伝えました。
「よければどうぞ」

一緒に飯を喰う。それって、多くの文化圏で、仲良くなる機会になるんですよね。


人懐っこい笑顔で礼を言い、斜め向かいに座る彼。伸ばした髪をイイ感じにまとめ、なんとも雰囲気のある人物でしたが、なんとなくここは待ったほうがいいように感じました。
そして数分。なにがきっかけだったかは忘れましたが、彼とわたしはごく自然に話し始めました。どうやら彼は、利尻島に住み込みで、コンブ漁のアルバイトをしている模様。へえ~そんなバイトがあったんや。さらに数分後…。
「Lehに行くんですよ」
そう彼は言いました。アジアに行く、インドに行くならわかりますが、Leh!? 
Lehとはインド北部にある都市で、1年前、インド旅のハイライトとも言うべき1week moto tripをした街なのです。

これがLehの表の顔で…。
…これも表の顔かな?
んで、これが裏の顔。これ、一見楽しそうな道ですが、これがもし10km、いや50km続くとしたら…? もしも天気が崩れたら…? 死んじゃいますよ、マジで。


「いやいやいやいや、なんでLehなんよ?」
俄然興奮し、思わずタメ口になるわたし。
もろもろ聞いているうちに、にわかバックパッカーのわたしなんかより全然マジな人だということに気付き始めました。曰く、カンボジアでホールドアップをカマされ、それでも旅をエンジョイした、とか…。
「現金はまだしも、パスポートやカードも盗られて、どうやって旅を続けたの?」
一文無しどころかパスポートすら失ったのに、“これ、あんま無いシチュエーションだな” と逆にその希少性にアガった彼。そのままヒッチハイクで旅を続行し、日本人宿にたどり着き、そこで働きながら生活し、徐々に現地語を覚え…。もちろん過酷な状況を笑えるネタとして話してくれているのでしょうが、それにしても彼の笑顔は
“…ああ、わかるわかる”
と納得してしまうほど、なんともいえない魅力を持っているのです。

そこに居る人たちとどれだけ楽しく過ごせるか? 結局、旅が楽しいかどうかなんて、ほぼほぼそれにかかっているんですよね。特に我々バックパッカーにとっては。


「…決めた。Lehまでの航空券をキャンセルして、デリーに飛んで、そこからバイクでLehを目指します」
わたしの話を参考に、ソッコーで予定変更した彼。9月末現在、彼は本当に現地でバイクを買い、Lehを目指して高地を爆走しています。

この風景が日常の人たちが、いまこの瞬間にも確かに存在するのです。…えらいこっちゃ。



旨くて安くて腹膨れて、おまけにこんな出会いもある定食屋。
これからも、わたしは“定食屋ハンター” として、各地の定食屋をハントし続けます。

これがオレっちのスタンダード。カツ丼とざる蕎麦セット。
東京に戻って驚いたのが、探せば東京にだってこんなナイスな定食屋がちゃんとあるってこと。武蔵境から杉並くらいがわたしの活動範囲なのですが、その範囲内でもそこそこコレ系の食堂があるのです。…まったく、灯台もと暗しってのは、まさしくこういうことだぜ。ゴイゴイスー!!

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