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おっさんだけど、仕事辞めて北海道でチャリ旅するよ\(^o^)/ Vol,28 拉麺

2024 0808 Thu
 
あれは、たしか20歳前だったはずですが…。だったら、大学のある神戸に住んでいたはずなのですが、姫路のファミレスで…。もしかしたら、阪神淡路大震災で学校が休校していたのかもしれませんね。

…ともあれ、19歳かそこらの青年だった在りし日のわたしは、姫路バイパスの近くにあるファミリーレストランでウエイターのアルバイトをしていました。どれくらいの期間バイトしたかとか、細かいことはまったく覚えていないのですが、なんせ楽しく働いていたことを覚えています。
店長も良い人だったし、バイト同士の仲もよかった記憶があります。飲み会をしたりカラオケに行ったり、夜な夜なドライブに出掛けたり…。なんなら、お昼のパートのおばちゃん達の忘年会に夜の部からわたしだけ参加し、おばちゃんたちに可愛がってもらった記憶まであるのです。…いまでは想像すらできませんが、当時のわたしってそれなりに社交的だったんですね。

ちょっと見知らぬ東アジア人がパンク修理しているだけで、この人だかり。こういう好奇心と社交性って、やっぱり必要だと思うんですよ。あと、時間の余裕もね。 at タジキスタン


そのファミレスで、わたしは大切なことを教えていただきました。
当時30代の半ばくらいだったんですかね、その店長が料理を提供する際、ワゴンを使わずに両手で持って料理を客前まで運んでいたのです。1人前ならわかるのですが、3人前や、なんなら4人前くらいも、バランスを保ちながら皿を何枚も掌の上で重ね、左腕の前腕などもフル活用して皿を運ぶのです。ちなみに、食べ終わった皿を下げる際も同じです。できるだけワゴンを使わずに、両手目一杯に皿を持って厨房まで帰ってくるのです。それはそれで見事なテクニックなのですが、なんらかのアクシデントがあれば料理も皿も台無しになるし、なにより毎回それでは疲れるはずです。不思議に思った私は尋ねました。
「なんで手で運ぶんスか? ワゴン使うたほうが楽でしょう?」
「そらそうやけどな…」
後に、NSC吉本総合芸能学院に通っていたことが判明する店長は、こう続けました。
「こんだけいっぱいの皿を両手だけで持って行ったらウケるねん、子供とか特に」

この盛り具合! アガるー! ラーメンにとんかつ! マジでアガるー!

それに…。店長は続けました。
「なんかソレっぽいやろ、こっちのほうが」
なるほど! わたしは感心しました。料理を運ぶだけでもウケを考える。同じ飯を喰うなら、楽しいほうが良いに決まっています。
“これがサービスってことか…”
こういう姿勢や仕事への取り組みは、サービス業とか客がいるいないに関係なく、なんなら仕事に関係なく、普段からわたしは意識するようにしています。やっぱり楽しい雰囲気を作るってマジで重要ですし、ソレっぽいナリや振る舞いもプロに不可欠なものだからです。
こうして店長に次ぐ料理運びマスターへと進化し、最終的には子供の誕生日ケーキを運ぶスペシャリストとして “幸せ配達人” を自称するまでにわたしは成長を遂げるのですが、それはまた別のお話です。

旨いかどうかとかひとまず置いといて、夏といったら冷やし中華! チャーシュー丼にのっかった目玉焼きがサイコー!


世の中には、食通と呼ばれる人たちがいます。いや、自称食通という人たちのほうが多いでしょうね、実際は…。食通ほどではないにしても、「食べることが大好き! 美味しいものを食べられるなら、カネに糸目はつけない」と公言する人たちはたくさんいます。こういう人たちとは真逆の立ち位置にいる人種、それがわたしです。

ウニ丼もブリ丼も喰いましたよ。そりゃ旨かったですが…。“まあまあまあまあ” って感じですな。

実のところ、どんなものでも美味しく食べることができるのです、わたしは。カツ丼大好き、唐揚げ大好き、ざる蕎麦大好き、ホカ弁大好き、カップラーメン大好き。こだわりがあるとすれば、それは旨いかどうかよりもセッティングです。誰と喰うか、どこで喰うか、どんな気分で喰うか。極論を言えば、好かん野郎におごってもらう銀座の極上寿司よりも、滔々と流れる渓で喰うカップラーメンのほうが好きなのです。旨いかどうかよりも、楽しいかどうか、嬉しいかどうか、アガるかどうか…。美味しいご飯も結構ですが、どうせ喰うならアガる飯を喰いたいのですよ。

見た目からしてもうアガるー! そんで「お待たせして申し訳ないから、ジュース好きなだけ飲んで待ってて」って、マジでアガるー!



北海道は斜里町のラーメン屋で、わたしはガツンとカマされました。

斜里の漁師たちが集うラーメン屋。味、ボリューム、そして塩気。能書きなんて要らない、労働者のためのラーメン。これを気に入らない奴とは飯の話ができませんな。

北海道を旅し始めて早1か月、わたしなりに食べたいものを喰ってきました。カツ丼が喰いたくなればカツ丼を喰い、蕎麦が喰いたければ蕎麦を喰い、カツ丼と蕎麦が喰いたくなればカツ丼と蕎麦のセットを喰らう。海の幸の炊き込みご飯もいただきましたし、ザンギ弁当も喰いました。奮発してブリ丼なんて喰っちゃったこともありますし、自炊の納豆&炊き込みご飯に舌鼓を打つ夜もあります。

カツ丼とざるそばセット。メニュー表にこれがあれば、抗う術を持ちませんね、わたしは。


そんななか、わたしが喰うことを避けてきたものがあります。それは、ラーメン。

厚岸で喰った炊き込みご飯のセット。ここで初めて北海道でラーメンを喰いました。何の変哲もないラーメンですが、なぜか旨い。“あれ? これ旨くね?” と不思議に思っていました。

ある意味で、わたしはラーメンに絶望しています。これだけラーメンブームが続いているのに、というか日本人の国民食、ソウルフードと言っても過言ではないラーメンなのに、満足するラーメンがないのですね、東京に長く住んでいたわたしにとっては。
高くて、量が少なくて、凝っているわりに旨くない。それが、わたしにとってのラーメンなのです。

うんちくとか、映えるとか、そんなもの求めてねえよ! 旨いラーメン、腹膨れるラーメン、飽きないラーメン、普通でありながら、普通に旨いラーメン。そんなの東京でも喰わしてくれよ。


そんななか、冒頭に書いた斜里町のラーメンです。
“…まあまあまあまあ。…ラーメンでも久しぶりに食べますか”
そんな、なんとなしの気持ちで入ったラーメン屋。もちろんGoogle mapの評価が高いことくらいはチェックしていますが、別に期待はしていませんでした。ただ、なんとなく興が乗っていたので、味噌ラーメン大盛にチャーシューをトッピング。それに半チャーハンまで頼みました。待つこと数分。運ばれてきたラーメンとチャーハンを見て思いました。
“まあまあまあまあ…。わりかしデカいやんけ…”
早速ラーメンを喰います。一口。
“…ん?”
二口。
“…えっ?”
三口。
“…けっこう旨いやんけ、これ”

喰った瞬間に “旨い!” とか、そんなマック的なアレは求めていません。いや、それはそれでときどき喰いたくなるのですが…。喰い終わったあとに “…旨かったな” くらいの飯が好きなのです。

旨いのです、なんとも言えず。なんの変哲もない、そう言ったら失礼かもしれませんが、想像する通りの味噌ラーメン。しかしながら、なにがどう違うというのか、旨いのですな、これが。しかも、です。チャリ乗りで、人の倍は塩分を必要としているわたしがビビるくらいに塩が効いているのです。いわゆるアレですね、そう、ガツンと来る味。
“これが漁師が喰うラーメンね!”
なんと言いますか、感動しました。穏やかな、人の良さそうなおやっさんが提供する、ガツンと来る味噌ラーメン。チャーハンだって、しっかり味が効いています。大汗をかきつつ、夢中で喰いました。

やっぱ地元の労働者が集う食堂っていいですよね。


アレですね…。アガる飯って、いいですよね。

こんなとこで喰う飯がマズいわけがない。アガるー! マジでアガるー!


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