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おっさんだけど、仕事辞めて北海道でチャリ旅するよ\(^o^)/ Vol,18 爽快

2024 0723 Tue
 
わたしが上京した1999年夏。その年の東京(もしくは川崎)は、9月の第一週に、年間最高気温を記録しました。なぜそんなことを覚えているかというと、年間最高気温を記録したその日に、現場でわたしがブッ倒れたからです。
半長靴に超々ロングを決め、金髪の長髪で眉毛はピンピン。そんな、格好だけは一人前の鳶を気取っていた若き日のわたし。ホームセンター立ち上げかなんかの現場で、足場の不備があったらしく、足場の部材を手上げしていました。何階上げだったかは忘れましたが、地べたの担当はわたし。地べたとはいうものの、そこは重機が自在に動けるように分厚い鉄板を敷いている部分です。生卵を落とせば即座に目玉焼きが出来上がるくらい、チンチンに熱せられた鉄板。その鉄板の上で荷揚げしていたわたしは、真上で部材を受け取る親方がグラリと揺れるのを目撃します。
「危ない!」
そう叫んで落下する親方を支えるべく手を差し伸べようとしたわたしでしたが、なんのことはない、倒れたのは他ならぬわたしでした。つまり、真上を見上げながら作業していたわたしが後方に倒れ、そのとき真上で立っていた親方が倒れかけていると錯覚したのです。

これ、影からもわかる通り、普通に至近距離で撮影しています。なぜシカが逃げないのかというと、“人慣れしている” のはもちろんですが、わたしが寝起きで、シカ親子にまったく気付かないまま、隣で10分くらいぼうっと景色を見ながら顔を洗って歯磨きしていたからなんですな。


暑さに強いか弱いかは、体質によるものが大きいとも言われます。わたしは極端に暑さに弱く、そしてそれ故に、暑いのがめちゃくちゃ嫌いなのです。

誰だって暑いのは嫌だし、なんなら動物だって暑いのは嫌みたいです。でも、わたしは特に嫌いで苦手なんですな、暑いのが。ちなみに写真はラオスです。


 
北海道に来て2週間。最初は涼しかったのですが、ここ5日くらいは灼熱の日々が続いていました。地元の方々が口をそろえて言う
「北海道じゃないみたい」
「近年ずっと暑いけど、それにしても今年は異常」
その異常な暑さにくわえ、アブの猛攻に蚊の襲来。正直言って、わたしは限界でした。楽しむのが旅の目的ですし、荷物を置いての峠アタックにトレッキングと、それなりにアクティブに動き回っていましたが…。ここ数日、暑さとアブ&モスキートで、苦しいことしかありませんでした。
“もう…。もう、アレかな…”
そんな弱気になっていたわたしは、その日の午前10時過ぎでしょうか、きりたっぷ岬キャンプ場に行くべく、霧多布大橋に差し掛かりました。そこで吹いた一陣の風。浜風でしょうか、なんでしょうか。とにかくその風は、熱のこもったわたしの身体を涼やかに駆け抜け、そして彼方へと飛んでいきました。
“…これは?”

強風に耐えられる山岳用テントを持ってさえいれば、こんな素晴らしいキャンプ場で過ごすことができるのです。強風故に涼しく、強風故に蚊やアブがいない。本州に比べ、コスト含め異常なくらい総合力の高い北海道のキャンプ場。そのなかでも、ダントツにおすすめですね。

その風を追い求めるように、わたしはペダルを漕ぎました。橋を渡り、坂を超え、そして海辺の道を走り…。キャンプ場は、海を見下ろす霧多布岬の先っちょにありました。抜けるような青空。静かにさざめく海。強く吹き抜ける風は、ここ数日続いたうだるような暑気を奇麗さっぱり吹き飛ばしてゆきます。
“…これか?”

キャンプ場のすぐ先にある遊歩道もサイコー。ラッコが居ても居なくても、どっちでもサイコー。

この瞬間のために、この数日の苦労があった。このとき、本気でそう想いました。太陽に身を焦がされ、身体中から汗を垂れ流し、アブに集られ蚊に血を吸われ…。そんな辛かった感情が一瞬で吹き飛んでいきました。
気持ち良い。とにかく気持ちが良かった。いつまでも風に吹かれていたかったし、飽きることなく海の色と空の色を見つめていました。

この景色を前にすると、誰もが皆、口をつぐみます。言葉は要らない、そういうことですな。


いまこの日記を書いているのは、8月6日。この日の感動があったからこそ、わたしはこうして旅を続けていられるのです。こういう瞬間に出会うために、わたしは旅を続けているのかもしれません。
霧多布岬、マジで最高です。

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