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詩学探偵フロマージュ、事件以外 はじめに依頼人あり
「もうありもしない依頼を想定するのはよそう」
クリスマスも終わり、
私が年末の大掃除をしていると、
ケムリさんは椅子をくるくる回転させて言った。
今日も今日とてケムリさんは、
口いっぱいにカマンベールチーズを頬張っている。
「やっとそこに気づいてくれたんですね」
ケムリさんは時間が余るとすぐ、
依頼シミュレーションをやりたがるが、
シミュレーションしたような依頼が
舞い込んだことはまずないのだ。
「依頼の前に、まず依頼人だ」
「……はい?」
「アリストテレスは、キャラクターよりも、
ミュトス(筋)を重視した。
キャラクターが立っていなくても、
ミュトスが際立っていれば、良い作品になる、と。
だが、ホラティウスもアリストテレスも
性格の首尾一貫性が重要であることは認めている。
つまり、何はともあれ依頼人だ。
はじめに依頼人ありき。
ここにせっかちな依頼人がいるとしよう」
「また始まった……それより大掃除……」
「この依頼人は歳の頃は六十過ぎ。
少女時代からリウマチを患っており、
そのために人と話していても
つねに身体のどこかが痛んで仕方ない」
「せっかちなのは痛みゆえですね?」
私にも経験がある。
お腹が痛いときはイライラするし、
すべての用事を急ぎがちだ。
いや、そんなことはどうでもいい。
今は片付けが大事なのに……。
「夫は昨年定年退職をしたばかりで
毎日家にいる。これも苛立ちの種だ」
「亭主元気で留守がいいと言いますからね」
「彼女は高利貸しを営んでおり、
今では夫よりよほど彼女のほうが収入がある」
「それは素晴らしい。
では何も依頼するようなことは
起こらないですね」
「かもな」
「では片付けに戻りましょう」
だがケムリさんは私を無視して続ける。
「彼女には一人息子がいる。
体格がよく、母親の言うことは正しいと
いつも考えているマザコンだ」
「息子の年齢は?」
「四十過ぎで独身。
無職。
もっぱら母親の貸した金を取り立てては
母親のもとに届け、
その一部をお駄賃としてもらっている」
「いい年をして情けない」
「ところがある日返済の遅れている男の家に
息子が徴収にいったきり戻ってこない」
「徴収の額はいくらでしょう?」
「五百万だ」
「なかなかの額ですね……
ねこばばした可能性もあります」
「それはダメだよ、君」
「え? なぜですか?」
「俺はさっき、母親の言うことは
正しいといつも考えているマザコンだと言った。
君の解釈はその性格の首尾一貫性に反する」
「誰だって魔が差すことはありますよ」
「だがこの想定ではそんなことは起こり得ない」
「ううむ……では殺人です」
「殺人?」
「お金が返済できないと言われて激情に駆られる」
「ちっちっち。
俺は依頼人はせっかちだと言った。
この性格の首尾一貫性こそが詩学を醸成する。
すなわち……依頼人は、息子が金の徴収に向かい、
結局、取り立てに成功せずに帰ってきたため、
我慢できずに殺したのだ。
それで……」
「そうとはかぎりませんよ。
ケムリさんはこうも言いました。
依頼人は少女時代からリウマチである、と。
『少女時代からリウマチ』。
何か浮かびませんか?」
「……何だ?」
「リウマチ→マチウリ。
すなわち、マッチ売りの少女です。
この依頼人の話はすべて、マッチの火を
見ている間の幻想かも知れません。
だとしたら……」
「存在しない息子が、
行方知れずなのは当然、か。ふむ……」
「さ、大掃除の続きを再開しましょう」
その時だった。
事務所のドアがノックされた。
私たちはドアのほうに目をやった。
返事をする間もなく、ドアが開く。
そこには、みすぼらしい身なりをした
老女が立っていた。
左手に杖、右手にマッチ箱をもった彼女は
私たちを見ながら言ったのだった。
「あんたたち、依頼はいらんかね?
私の息子が失踪したのさ」
私たちはほぼ同時に応えたのだった。
「間に合ってます。良いお年を」