掌篇「ポオのいない風景/群衆の人2023または新たな探偵小説のレントゲン」
マスクを外さないことには、ポオの口髭を見分けられない。何しろ、ポオを探すのに頭の形やあの猜疑心に凝り固まった目ばかりを頼りにするのは心もとなさすぎる。そんなわけで、マスクを外す人が増えてきたのは、じつにポオを見つけるにはよい頃合いだった。問題は、2023年という時代にポオを見つけられるか否かだ。
私がその男に目を留めたのは、そんなさなかのことであった。男は、群衆から浮いていた。時折視線をきょろきょろさせて(群衆はきょろきょろしない)、時折物音にびくりと反応して(群衆は物音になど動じない)、時折愚か者を指さして笑い(群衆も笑うが指は差さない)、そのうえ死体を担いでいた(群衆は死体を担がない)。
「お忙しいところ、我々の捜査にご協力くださるのですね?ありがとうございます」と刑事が突然私に話しかけた。その男が刑事であることは前から知っていたが、捜査に協力というのは完全な誤解だった。
私はただポオを探していただけなのだから。
そんなこととも知らずに刑事は私にうったえた。
「あの煉瓦塀の家にAという男が住んでいました。それはまったく確かなのです」
そうかい、それで? と私は応じた。刑事はAの写真を私に見せた。それは、いましがた私が目を留めた男だった。しかも、奇妙なことに、Aはそうして我々が話しているところに、堂々と近づいてきたのだった。
「Aはあの家で生まれ、間もなく幸せな結婚生活を送るはずだったのです」と刑事は、現実のAを見もせずに続けた。
Aは刑事の隣で深く頷いた。ひどく顔色が悪く、時折ピーナツをつまみ、
それから珈琲を頭からかぶった。Aはそんな堂々としているくせに、刑事が自分を怪しむのではないかと、やけに目ばかりがびくついていた。
ところが、刑事のほうではまったくAを気に掛けるようすはなかった。ただ刑事は、Aの失踪についてのみ考えているようだった。
「できれば、明日の朝までには見つけ出して婚約者に知らせたいのですが、何の手がかりもつかめず……。探偵さん、どう思いますか? Aの失踪について」
刑事に問われて、私は困惑した。さて、何をどこから話すべきなのか。
まず隣にいるAを、刑事はAと認識していない。そもそもAの失踪以上に、Aが背負っている死体のほうが、よほど問題なのだが、それすら問題視する気はなさそうだ。
「この事件には真相もあり推理も可能ですが、
実際のところ私が悩んでいるのは、それを披露したとして
あなた方に何が伝わるのだろうかというところなのです」
すると、刑事はにっこり笑って答えた。
「大丈夫ですよ、探偵さん。どんな結末であれ、我々はあるがままを受け止めます」
そうですか、と答え、私はしばし席を外し喫茶店に向かった。案内された席の隣のテーブルでは、Aが死体を背中から下ろして床に転がし、その体毛を剃り始めた。ウェイトレスはその死体に躓いて転びそうになったが、何も言わなかった。
「早く注文してちょうだい」
ウェイトレスはせっかちにそう言った。私は珈琲とジャムトーストを頼んだ。それから、午後はサブスクでタルコフスキーでも観て過ごそうと決めた。
その時、会計を済ませた客がドアから出て行くのが見えた。口髭、頭の形、猜疑心に満ちた目に、どこか親近感を感じたが、なぜそう感じたのか、私にはよくわからなかった。珈琲を飲み終える頃には、何か思い出せるかもしれない。
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