水煙草探偵美紅、非独白、煙吐く 1

 箱があり、凹みがあったので入るという感じで、バーカウンターの一番奥に陣取るのが私、美紅です、こんばんは。こんにちは。おはようございます。どれでもいいですね。

 水煙草というものは睡蓮を連想させるので好きですね。え? 連想しない? 私が連想したんです。私の問題。あなたじゃなくて。はい、ええ、ほんとうに、いいお天気で。ここは地下ですから関係ないですけど。

 深夜一時、いまが何時であれ、仮に、そうしておきましょうか、あなたと私の間で決めた今に与える記号。

 この辺りから肺は水を通して煙を吸い込みますね。水槽の魚が泡を吐くのと、競争でもするような、いやそんな気はさらさらないような、どうでもいい感じで。ええ、はい。

 それで依頼人。ボードレールに似た男を探せというのですね? でも私はボードレールを知らないんですよ。世の中の探偵があまねくシャルル・ボードレールの顔を覚えているなんて思わないほうがいいですね。ええ。ほんとうに。あ、私の顔をじろじろ見ない。美人? ふつうです。あまねく人類はうつくしい。はい。ええ。寝癖は、そのままにしてきました。お気になさらずに。今夜はあなたくらいしか会う相手がいないので必要ないかと。ブラッシング? 何ですかそれは。

 ふう。あ、すみません、顔にかかりましたか。それで、なぜボードレールなのでしょうね。いや、そうですよね。実際にボードレールに似てるんだから仕方ないですよね。それはほんとうに、ええ、わかります。ただ、ただですね、はっきりお伝えすると、この骨の髄までルッキズムまるだしでだしがとれるほどの私は、何を隠そうアルチュール・ランボー推しなので、この依頼は少しも役得感がない。

 しかし依頼人、あなた自体は美男といってもいいです。これ、誉め言葉では決してないんですよ。なぜってべつに私は美男が好きでも何でもないですから。ルッキズムはどうした? 私のルッキズムはそんなうわべの話ではないですから。

  美男。世の中厄介なもので、一言「美男」と書いておけば、あとはせっせと各自の美を頭の中で組み立ててくれるんですよ。便利な言葉ですよねまったく。長年の飲み仲間のケイコにでも話すときは、だから美男の依頼人がきた、と告げるんです。たいていの場合、そう言いますね。そうすればケイコが喜ぶんですよ。

  ケイコなんて知らない? そりゃそうでしょ。なに言ってるんです? 知るわけないですよ。私の知り合いで依頼人さんの知り合いじゃないですから。え? 顔に煙をかけるな? それは煙に言ってもらえますか? 私は煙に首輪をつけるわけにいかないんです。わかりますよね?

 そのうち「依頼人であれば美男である」という定義が生まれるかもしれないですね。ちょっと、『悪の華』の一節を暗唱しはじめないでください、あいにく私は詩から作者の容姿を脳内で組み立てられるほどの特殊能力が備わっていなませんから。

 ネットで調べますから、詩の暗唱はそのへんで。それで、そのボードレールに似た男が何をしたのか教えていただけますか?

 依頼人、そんな恨めし気な顔しないでください。え? 「俺の妻を殺した」? ふう…………その芝居がかった様子に、私は吹き出す寸前でしたが、なんとか肺いっぱいに煙を吸い込んだおかげで助かりました。

 それがボードレール本人ではないと言い切れますか?

 え? そりゃ当たり前? ボードレールは死んでるから?

 伝聞ですよね。そして、私にしてみればあなたの奥さんが殺されたというのも伝聞の話。その意味ではボードレールの死と同じ程度の信用度しかない。もしかしたら、ボードレールもあなたの奥さんも共に生きていて、いまごろは愛の逃避行をしているのかも。ボードレールと愛の逃避行、奥さんが羨ましいです。まあランボーだったらなおのことですが。

 飲み過ぎ? 依頼人、ちがいます、吸い過ぎなだけです。それで、どうします? あ、また煙が顔に? 仕方ないでしょう、首輪がつけられないんです。あなた煙の首がどこだか、そもそもわかりますか? わからないでしょ?

 それで、どうします? 私に頼みますか? 

 私も生活がかかってるんで頼まれたいのはやまやまですけど、決定権は依頼人にゆずりますよ。

 だって、ほら、あなたが依頼人だから。

 依頼人が依頼しないなら、もう依頼人じゃないですからね。

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