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10夜連続お題公募エッセイ第八夜「ひとりごと」

  ひとりごとはよく言うほうだ。どういう時に多いのかというと、最近だと圧倒的に多いのが、編集者からのチェックバックがきたとき。ひとりごとでも言わないとやっていられないので「あああそこは説明不足ですね、はい、おっしゃるとおり」とか、「その矛盾点はね、プロット段階じゃしょうがないんだけど、まあ直します、直しますよ」とか、そういう編集氏からの容赦ないツッコミに対して一人でぶつくさしゃべっている。

 でもこれはひとりごとだろうか? そこに相手がいないだけで、ひとりごとじゃない、という考え方もあるだろう。ではたとえば、バラエティ番組を深夜に一人で見ているときに、あまりに面映ゆいような場面が出てきて、「はずかしいなぁ、よくそんなことするなぁ」とか言っているのはどうだろうか。これなら厳密なひとりごとじゃないだろうか。

 いや、しかし、これもテレビの中のタレントがここにいないだけで、やっぱり架空の他者を想定した言葉であり、純粋なひとりごとじゃないかも知れない。

 純粋なひとりごとって何だろうか? バイクの音がうるさい時に歩きながら「駆け抜ける自己主張」とか言うのはひとりごとか。あれも本来はバイクの主に言うべき言葉なので純粋なひとりごとじゃないのか。となると、そこにいるいないに関わらず、まったく他者を想定しない発話ということになる。

「ああお腹空いた」はどうだろうか。これは確かに誰かに聞かせるものでもないし、その場にいない誰かに向けた発話でもない。まったくのひとりごとだ。「今日は…猫氏のために魚、鶏をみじん切りに…」とか。

 もっと意味不明なものもある。「さむいな」暑いのに呟いていたり、「ケンケンパ、ケンケンパ」と言いながらネットサーフィンを続けたり。このようなひとりごとは、日常に入り込むノイズである。なきゃないで一向に困ることはないし、なぜ言っているのかもわからない、単なるノイズである。だが、まったく意味がないかと言えば、そうでもないかも知れない、という気がする。

 締め切り間際になると「まずいまずいまずい」とよくひとりごとを言う。これなんかは、能動的に自らの精神に小さな風を巻き起こすひとりごとだ。思考の合間に生まれた、むだな余白を埋めようとする運動のようなものだろう。

 考えてもみれば、小説というのも、最大級に冗長なひとりごとみたいなものかも知れない。それが何の役に立つのかと言われればさだかではないし、明確に一つの目的をもって作られることは稀であるし、目的があればうまくいくものでもないが、自分のなかに何らかの風を起こしたくて、思わず出てきた、という意味では、やっぱり小説も「冗長すぎるひとりごと」に入れていいような気がする。

 一度でいいので、作家の皆さんに一日のひとりごとを録音してもらい、〈作家のひとりごと展〉みたいなことをやってもらいたい。できればタイムリープもして、ヘミングウェイあたりのひとりごとはぜひ録音に成功したいところではある。芥川のひとりごとが楽しそうだ。ジョイスやブルトンはまず間違いなく意味不明だろう。

 さて、そんなことで私の新たな〈ひとりごと〉が発売となっている。じつはいま特典小説も書いており、私の中では夢センセとの二人三脚がもう少しだけ続くことになる。しかし、二人三脚だろうと、三人四脚だろうと、それもやっぱり〈ひとりごと〉なんだろう。せめて、いい風を吹かせられる〈ひとりごと〉であったらいいな、とそんなことを考えている。

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 新刊『偽恋愛小説家、最後の嘘』発売となりました!

「雪の女王」を題材に、真夏の凍死体、幻の遺稿争奪戦といった事象に夢宮宇多が巻き込まれる超エンタメミステリ長編です。どうぞよろしく。

今回は私のサイン本と夢センセの登場する特典小説が当たる企画があるようなので、ぜひこちらのサイトも覗いてください。

 なおこのお題公募エッセイはあと2日続きます。
タイトルもまだまだ募集中ですので(すでにご応募いただいた中からももちろん選ばせていただく予定です)、引き続き、#森晶麿エッセイタイトル、と付けて投稿してください。たくさんのご応募お待ちしております。

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