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10夜連続お題公募エッセイ第七夜「秋の気配」

 八月も半ばを過ぎると、ビールのコーナーに「秋味」が並ぶ。「そんな、気の早い……」と思うが、物珍しさに一、二本買う。期待値は低い。中身はどうせ一番搾りほどクリーミーではなく、ラガービールほど粗くもなく、といった、旨いのか旨くないのかはいま一つよくわからない代物だろう。だが、これを飲むとひとまずああこれから秋がくるんだな、なんてことを思ったりする。最近はすっかりウィスキー派に切り替わったが、やはり季節の替わり目になると、秋味だけはつい一、二回飲んでしまう。好きでもないのに、これはまったく奇妙な習性だ。

 その後、九月に入ると実家から梨が大量に送られてくる。母は私が子どもの頃に梨にかなう果物はないとつねづね言っていたのを覚えていて、今でもそうなのだろうと信じ込んでいる。実際、今でもそうなのでので、彼女の見込みは間違っていない。九月は朝起きると、口の中がかわき切っている。子どもも私も、朝は梨しか食べたくないといった感じで、ひたすら梨を食べる。

 しかし、気分的には、秋味を飲もうと、梨を食べようと、まだ秋の気配を感じるわけではない。続いて、何ともいえず羊羹を食べたくなる。だいたいこれが九月の半ば過ぎたあたりからだ。私はじつは「とらや」の羊羹があまり好きではない。ちょっとさっぱりしすぎている気がしてしまう。それで、ねっとりとした羊羹がどこからともなく手に入るとほくほくとして書斎で珈琲のお供にする(珈琲の? そう、珈琲の)。

 また、極端にスイーツがほしくなる。街を歩いていれば、まず間違いなくカヌレは購入してしまう。カヌレ! カヌレ! カヌレ!

 いや、取り乱した。

 それでもまだ、私は秋の到来を認めたりはしない。だが、GRAPEVINEが不意に聴きたくなると、これは一つのサインにはなる。あ、空気が乾いてきたんだな、と思う。GRAPEVINEの音楽は、乾いた空気の中でよく響く。それから、アンビエントばかりが聴きたい時期がやってくる。レイハラカミの風通しのよい音もいいし、Clarkの無機質な音もよい。Daedelusの時空を変幻自在に彷徨う空気も、大気にノスタルジーをしみ込ませたShrimpnoseのざらついた音も、すべてが秋に向けてあるべき音として耳に響き始める。

 なぜこれらの音を夏の間はあまり聞きたくならなかったのか、今ではまったく理解できないくらいにそればかり聞いてしまう。こうなると邦楽も洋楽も歌詞のある音楽はほぼほぼ聴きたくなくなる。

 これは何故なんだろう、と思うのだが、よく言うことだがやはり秋というのはある種の生命の生え替わりの時期でもあるからなのだろう。空気の入れ替えが行なわれる、そういう時は、自分の生活が関心のど真ん中にある。その中で、自分の暮らしの一部になるような音が、しぜんと響いてくる、というところはあるのかも知れない。たとえば、キーボードをリズミカルにカタカタと鳴らす音、それらの合間にCorneliusのギターカッティングが入ってきたりすると、おおなんてすばらしいタイミング、と喜んでしまう。

 まあ秋にかぎらず、けっこう一年中やってることではあるのだが、それでもやはり、秋にはその音の良さに気付けることが多い。そして、CD棚で埃をかぶらせた古い名盤にごめんなさいをする、というのも、秋の気配のサインのひとつだ。とかく人間は自分の体験を信じ込んでしまう。「もうこのアルバムは聞き飽きた」とか「あまり自分には響かなかった」というアルバムは、滅多なことでは取り出さなくなる。

 だが、秋の気配のなかでは、不意にそんな過去の自分の体験を「もしかしたらあれは自分の耳が未熟だっただけじゃないのか」なんて考えてふたたび取り出してみる。そうすると、大抵CDに謝ることになる。こんな音を鳴らしていらっしゃったんですか、ごめんなさい。え、何ですかその間奏のパーカッションのかっこよさは! とか、そういうことをえんえんやっているうちに、ああもうすっかり秋が来ているのである。

 自分の「飽き」が独りよがりだったと気づいた頃に、「秋」がくる。「飽き」が去り「秋」がくれば、人はまた新たな自分に生まれ変われるのかも知れない。いずれにせよ、年を重ねるごとに、耳の喜ぶCDを再発見できるというところに、愚かな人間の特権があるように思っている。そしてまた今年も、「飽き」が去り、「秋」がきた。

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 なおこのお題公募エッセイはあと4日続きます。
タイトルもまだまだ募集中ですので(すでにご応募いただいた中からももちろん選ばせていただく予定です)、引き続き、#森晶麿エッセイタイトル、と付けて投稿してください。たくさんのご応募お待ちしております。

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