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10夜連続お題公募エッセイ第一夜「シロクマ」

 いつ頃からだろうか。頭の中をシロクマが歩くようになった。
 どういう時かというと激しい感情に駆られたり、自分でもコントロールが難しいような混乱に陥ったとき、はたまたフィジカルを伴う衝動にかられたり、といった場合に、何かの制御装置が働くかのように、頭のなかをシロクマが歩く。
 このシロクマがどこの何者かはわからないのだが、おそらくは舞台は南極あたり。氷の上なんかをのそりのそりと歩いていたりする。氷がピキピキキューと音を立てるたびに、それでも彼はそんな音に驚く様子もなく、のそりのそりと歩き続ける。
 恐らくは自分の置かれた状況から、少しばかり距離をとるために、シロクマは現れる。このシロクマさえ現れてくれれば、状況に比べて、自分はほんの少しばかりの冷静さを取り戻すことが可能となる。

 自分はどうも、このシロクマを登場させない自分というものが、好きではないのではないか。べつにシロクマに自己投影しているわけではない。それはむしろ絶対に自己投影できるはずのない絶対的他者だ。何しろ氷の上をのそのそと歩いている。私は氷の上をのそのそ歩いたりしないし歩きたいとも思わない。

 ただ、このような絶対的他者を想像することで、ようやくほんの少しばかり自分は人間らしさを取り戻せるのかも知れない。

 もちろん、べつに冷静さを欠いていたら人間じゃないわけではない。だが、それでもやはり、いくらか衝動的な感情に身を任せることで、動物的な自我を優先させているような、そんな気がどうしてもしてしまうのだろう。

 シロクマが冷静な動物かどうかは知らない。私のなかに現れるシロクマは、おそらくシロクマ一般ではなく、もっと抽象的で象徴的なそれのようなものなのだろう。もしかしたら、氷の上を歩く何らかの白い塊でありさえすればいいのかもしれない。とにかく、何であれ、それによって、自分はあとほんのわずかの崖っぷちでどうにか人間に回帰する。

 話は変わるが、この長いコロナ禍になって、さまざまな感情が押し寄せてきた。そして、それと前後して猫を飼い始めた。迷い猫であり、我が庭に居ついたので、仕方なく、やむを得ず、という流れだった。だが、本当に「やむをえず」だったのかはわからない。それはもっと自然な流れだったようにも思う。

 もしかしたら、通常ではない場所に迷い込んでいたのはこっちのほうで、その迷いの中にあっていつもとちがう風景が目につき、結果として猫が与えられた、とも考えることができるのではないか。

 こう考えたとき、それは長いあいだ私の中にとどまり続けていた「シロクマ的な何か」がぽっと現実の世界に具象化されたようなものかも知れない、と思った。

 私は猫を見る。彼らが目をとじ、懸命に、何かに祈るように必死に餌を食べる姿を見守る。そういうとき、人間の「ふり」ができている自分を発見する。そして、そう、それは長らく自分が、心のなかにシロクマを想像しながらやってきたこととある意味では同じなのだ。

 あなたには「シロクマ」はいるだろうか? もしかしたら、その「シロクマ」は、人生のどこかの曲がり角で、まったく姿を変えて、あなたを待っているかもしれない。

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「雪の女王」を題材に、真夏の凍死体、幻の遺稿争奪戦といった事象に夢宮宇多が巻き込まれる超エンタメミステリ長編です。

 なおこのお題公募エッセイはあと9日続きます。
タイトルもまだまだ募集中ですので(すでにご応募いただいた中からももちろん選ばせていただく予定です)、引き続き、#森晶麿エッセイタイトル、と付けて投稿してください。たくさんのご応募お待ちしております。

 

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