まともであること/居場所はここではない/魔法を信じるか?
ちょっと上が寒くてめっちゃ黄色い、nsmです。
今年は死んでも死にきれないため思ったことを文章にしておきたい欲がすごくないですか?私はすごいので文章を書きました。
まともがわからない
noteでこの記事【 https://note-infomart.jp/n/n17714ca0a25a 】を読んでずっとひっかかっていた言葉がある。
- 失われていくものがあれば、その揺り戻しとして必要な能力もある。そして、失われたくないものもある。谷川さんが、世の中から絶対に失くしたくないものは、何ですか?
谷川:保守的に聞こえるかもしれませんが、〈ディーセンシー〉(まともさの感覚)でしょうか。(中略)人は誰しも完璧ではないけれど、部分的にはディーセントでありうる。人が築いてきた文化の中のひどい要素を批判して減らすだけでなく、良い面や美しい面を育てていきたいです。(中略)そして、こういう理想への〈憧れ〉も大事だと思います。先ほどお話しした“何にもならない時間”と同じく、理想に素朴な憧れを抱くって、すごい無駄ですよね。(中略)けれど実は、理想と現実のギャップこそが大事。理想に立ち返ることで、「こうなればいいのに、そうなっていない」と現実をずらすことができるからです。(中略)だから、現実とうまく付き合うためにこそ、理想を思い描き、夢を見るような無駄な時間が必要なのだと思います。
「まとも」って何だろう?
どこにまともがあるのか、何にまともを求めるべきなのか、誰が言ってることが正しいのか、世の中がコロナウイルスでおかしくなってるからこそ「正しさ」とか「まともである」ことを私もみんなも求めてるような気がした。
多分、たいがいの人がまともでありたいんじゃないだろうか。
今の情報が溢れてる世の中で、テレビもネットニュースもツイッターもインターネット自体もそんなに信用できないし。
私は4月に入社してから在宅勤務でずっと家にいて、オンライン研修が終わってから家族以外の人とあんまり喋る機会もなかった。そんな中で暮らしていくうちに私はよく不安定になった。引きこもりがちな人間だったため、ステイホームには慣れていたが、今まで普段何をして何を見ていたのか、何がまともだったのか、そもそもまともなことなんて世の中には存在しなかったようにも思えてきた。
まともであることは多分難しいし、インターネットはまずまともじゃない。
なんというかネットを見ていてイライラするのは、インターネットやツイッターで盛り上がっていることは基本的に誰かの意見が共感を呼んでデカくなっているだけで世論ではないし、私は世論に興味があるのであって、それ以上のことは正直知ったこっちゃないからだった。
じゃあまともであるためにはどうしたらいいんだろう
ツイッターは私の居場所ではない
そんな風に考えたきっかけが、ツイッターでの政治的な話題が盛り上がっていた今年の中盤ごろだったと思う。
私は趣味のアカウントで政治の話をしたくないし見たくない。自分の生活とも出来る限り切り離して趣味がしたい。
なのにそこが一気にごちゃごちゃとして混沌としていく様を見ていて正直吐き気がした。好きな人が嫌いになったし、しばらく何も見れなかった。誰もがまともじゃなかった。
今まで中学生の頃からツイッターに入り浸っていて社会人一年目になる今までいい付き合いをしてきたけど、こんなことは初めてだった気がする。
正直、ツイッターは現実よりも確かな「私の居場所」だった。そこがあっという間にあっけなく崩れたのだ。
政治のことに興味が無いわけではない。だけど切り離して考えないと心が死んでしまう。だから「わたしはちゃんと普段から政治のことを意識して考えているのでそういうの大丈夫です」と言おうとしたが、そもそもそんな政治についてや世の中のことについて全然知らないし、どのようにして自分の周りの世界と繋がったらいいのかわからないことに気づいた。
たいそう不安になったけど、振り返ってみるとそんな頃からテレビよりスマホやネットばかり見ていたため、自分の周りを好きなもので固めて、好きなものしか目に入らないような状況だったということにも初めて気づいた。
今はインターネットでいつでもどこでもどれだけでも好きな情報を手に入れられて、それはある意味自分の作り出した世界に閉じこもってるのと同じで、私たちの得意なことだ。でもその世界が壊れたとき、現実の自分の居場所があんまりないことに気づく。そのとき「ここを居場所にしてはいけない、何か別の場所を探さないと」とはっきり思った。
テレビや新聞や週刊誌といったメディアはそんなに馴染みがなくて、手を出しづらかった。
そんな中で、今の私の居場所はラジオに落ち着いている。
ラジオはいいぞ
最近はTBSラジオで荻上チキSessionを毎日できるだけ聞いている。
聞き始めた頃は夜の放送だったけど、ちょっと前に夕方の時間に移ってきた番組(私はradikoを使ってタイムフリーで好きな時に聞くことが多いですが)この番組を聞いてようやく、政治って面白くて、知らんぷりをするのはもったいないと思えた。
荻上チキさんの、自分の意見を押し付けるのではなく「自分はこう思う、あなたはどうですか?」と聞いてる側にも投げかけてくるようなスタンスが気に入っている。あとたまにインターネットオタクがチラつくところも信頼できる。
それに、女性が働く上で抱えている問題もよくメインテーマとして取り上げられてるのが印象的で、以前はツイフェミ()がマジで涙が出るほど嫌いでこの話題に触れるのがとても苦手だったけど、きちんと議論が交わされているのを聞いて今社会が抱えている重要な課題なんだなとあらためて考え直すきっかけになった。
ラジオやテレビだと、自分の興味のない話題でも自然と耳に入ってくるから勉強にもなっておもしろいし、そういう体験は重要だと思う。おすすめ。TBSラジオが圏外でもSpotifyで過去の放送が聞けるよ。
いろんなメディアがあふれているけど、ラジオは今後もなくてはならないものとして残っていくんじゃないかな。1人でいてふと寂しくなったとき、ツイッターをぼんやり眺めて虚無になるよりも、ラジオをつけたほうがよっぽどマシだ。
今までツイッターが見れなくなったときはYouTubeやアマプラで心の隙間を埋めていたが、ちょっとカロリーが高くて作業用BGMには適さない。やっぱり最終的に私はラジオに戻ってきた。ラジオはいいぞ。
余談だが、私はTBSのJUNKラジオリスナー歴おおよそ8年だ。いじめられっ子だった小学生のとき爆笑問題カーボーイを聞いて下品で最悪なハガキ職人のネタに救われて、伊集院光の深夜の馬鹿力を聞いて大変クソ闇の深い有意義な大学時代を送った。深夜ラジオにすべてを教えてもらった。TBSラジオはいいぞ。愛知だと電波入らないけど(昔はPodcastで聞いてた)
まともはわからない
ここまでいろいろ言ってきたが、ネットの情報もラジオのパーソナリティーもいろんなメディアも私が言ってることも、誰の言葉もまともであるかは定かではない。
結局、自分がまともだと思ったことが「まとも」なんだと思う。
でもこれは、自分に絶対的な自信があるからとかそういう井の中の蛙的なことではなくて。
いけないのは「これが絶対正しいんだ」と決めつけてしまうことだから。
物事を多面的に見て、いろんな人の意見を聞いて、最終的な判断を自分で下せば、胸を張って「自分はこれが正しいんだ」と言う。それで十分だと思う。正解かどうかわからなくても。
でも、一番怖いのはインターネットばかり見ていると、いろんな見方から物事って捉えられるんだってこと自体になかなか気づけないことだ。それでどんどん視野が狭く狭くなってしまうことってすごくあると思うし、そんな恐ろしいことが今ふつうに起きているんじゃないだろうか。
私はそうはなりなくないし(たとえ今までがそうだったとしても)、政治も世の中にも正解がなくても「自分から知ろう」という姿勢が大事なんだと考えている。それよりしょうがないんだろうな。わかってはいたけど現実と向き合うのは体力がいる。たいへんだなあ。やだなあ。
ところでみなさん魔法はあると思いますか?
魔法を信じるか?
ノエルギャラガーがインタビューで「今の若い子はみんなスマートフォンを持っていて魔法を信じていない」と言ってました。
私は信じることにします。