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「あるわけないよね」が叶ったのです

こちらからの続き。

とある記事を読んでみたら、ネドじゅんさんの講演会でお話を聞いたら右脳回帰した人がいたんだとか!

「え?わたしも・・・」なんて淡い期待を持って参加した講演会。特に喜ばしい変化はなかった。

が、逆に望まない出来事が。

まず、講演会の翌々日から声がほとんど出なくなった。けれど、なんと言っても保育士の私。ほとんど出ない声を振り絞りながら仕事をした。

「もう限界。明日は病院へ行こう」と思ったその夜、なんと給湯器が壊れてお湯が出なくなるという事態勃発。(なので風呂に入れず・・)

病院は後回しになり、まずは点検・修理に来てもらうことに。

次の日の夕方、大家さん(うちは大家さんが修理をしてくれるシステムw)が来てくれ、給湯器を交換してくれたのはいいけど、お湯の温度が安定せず、すぐに水に切り替わってしまって。

私は、久しぶりにメチャクチャ腹が立った。

お湯と水が交互に出るシャワーを浴びながら「ちゃんと直さんかいーー」とキレてしまった。この日は寒かったこともあり、そして心細くなったこともあり・・。

で、翌朝のノートタイムに(望みをノートに書く時間を毎朝設けているので)は、「温度調整ができるコントローラーがある家に住んでいる」って書いたわ。

↑こういうやつね。

何と言っても、うちは狭くて安いマンション。
給湯器のコントローラーなんてない。だからいつも「これくらいかな?」と手で温度を確かめて湯を溜めたり、シャワーの温度を調節したりしている。

家に設置されたいたのが古い給湯器なものだから、調整しても途中から水に切り替わってしまう、ということが普通になっていた。

だけど「仕方がないね。家賃が安いからこれくらいは我慢しなくちゃね」と、いつも風呂に入りながら思っていたわけですよ。

さて、ここからなんだけど。

大家さんが2度目に修理に来てくださった時、帰り際に言った一言に衝撃が走った。

大家さんは、新しい給湯器の前で、修理をしたにもかかわらず、お湯の温度が安定しなかった理由を私に教えてくれた。

で、最後に言った。

「このコントローラーを来週になりますが、お部屋に設置させていただきますね」

え?
このコントローラーってこれですか?

                            ↓

実際には同じ物ではない


「え?まさか?!」
ありえないんですけど・・・。

なんとういうことだろう。

この激安マンションに、お湯の温度が調節できるコントローラーがやってくるとは!

叶った!あっさりと「ありえない」と思ったことが叶った。

侮るなかれノートタイム!
侮るなかれエレベーター呼吸!

そしてこの「ミニ・チップ・イメージ」も侮るなかれ!

私は今回、給湯器のコントローラーについては「ミニ・チップ・イメージ」はしなかったんだけど、いつも「味わいたい感情・気分」を感じるようにしている。

給湯器の故障のときも「よかった」「ありがとう!」「ほっとしたー」「最高やー」という気持ちを味わった。

給湯器が直るとか直らないとかよりも「どんな気持ちを味わいたいか?」そこにフォーカスしたってわけだ。

それが良かったのかな?

ま、何でもいいね。
一件落着で、いい気分なのだから。

望みについて、何を手に入れたいか?というと、結局手に入れたいのは「気分」なんだと、朝のノートタイムを続けるたびに感じるようになっている。

そして、望みを書き続ける時間を短くても日々作って習慣にしていると、ノートを書く以外の時間も「私は何を望んでいるだろう」に意識が向きやすくなってきている。

脳がそっちへ意識を向かわせているようだ。





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