良いコミュニケーションはつまらない、内容がない問題

初対面の人とどのようにコミュニケーションをとるでしょうか。多くの人がその場であたりさわりのない、自分と相手の間で絶対に共感できる話題をして、にこやかに会話するようなコミュニケーションをとっていると思います。

よくあるのが天気の話で、天気の良い日に「今日は良い天気ですねー」と声を掛けた場合、もうそれは100%「そうですね」が返ってくることが想定されています。

私は子どもの頃はこのような意味のない会話の必要性がまったくわからず、なんてつまらない話をするんだろうと心から疑問に思っていました。

そして、大人になるにつれ、初対面の人にかぎらず、周りの人との会話がつまらないと思うことが増えていき、なんとかその会話を盛り上げようとして、相手の期待を裏切るような返しをしていた時期がありました。

せっかく話す機会に恵まれたのですから、新しい発見や興味がわく議論を提供して良い時間を過ごして欲しかったし、私自身は相手のことを理解できたという達成感がほしかったのです。

しかし、多くのひとは私と話した後に怪訝な顔をして顔を伏せてしまったり、怒って席を立ってしまったりしました。
その場は楽しく終わったように見えても、裏では見下している、失礼だと陰口を言われたりしました。

自分なりに相手を楽しませているつもりだったのに何がいけないんだろうと思い悩み、あるとき、冒頭の世間話の重要性にたどりつきました。

人とのコミュニケーションとは、相手と自分の違いを浮き彫りにしてそれを理解し、受け入れる方法ではなく、相手と自分の共通点をお互いに確認し、仲間である、分かり合える、お互いを受け入れられると確認して安心する方法であるということです。

こんなこと、本来は感覚的にわかっているものなのかもしれませんが、私は痛い目をみないとわからなかったので、あえて言語化してみました。

私の返しやコミュニケーションは、お互い期待通りのやりとりを行なって安心感を得て、共通点を確認して仲間としてわかり合おうとしている人に対して不快なサプライズと否定された感じを与えるもので大間違いだったのです。

それに気づいてからは、相手の期待通りの返しを意識するようにし、お互いの共通点を強調するようなコミュニケーションを意識するようにしたところ、人間関係は劇的にうまくいくようになりました。

違いの尊重も人間関係においては重要なことですが、分かり合えるという安心感が前提にないといけないと思います。

また、一定以上の深い人間関係でなければ、違いの尊重が必要にならないのです。

一定の型にはまった相手に不快なサプライズを与えないエレガントな世間話は大人のたしなみなのかもしれません。

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