~どこかの誰かの1日~#9 「ゆきのまち」大阪府 24歳 Kさん(後編)
読んでいただき、ありがとうございます!前編も合わせて読むとさらに楽しんでいただけるかと思います。
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以下、本文の続きです。
ゆきのまち(後編)
――バスを降りてから数分。僕の足を止めたのは、ガードレールを覆うほどの積雪だった。元々山あいの道だったこともあるが、道路は完全に埋まっている。これではしばらくバスは通れないだろう。
とはいえ、迂回できるような道もない。僕は携帯電話を取り出して自分の位置を確認すると、沙羅のいる病院に向かって再度、足を踏み出した。
一歩。また一歩。ゆっくりと足元を確かめながら進む。
天候は変わらず最悪で、まともに目を開けることもできないほどの吹雪が続いている。まだ太陽は出ておらず、微かな街頭の明かりだけが僕を照らす。
歩き始めた頃には膝あたりの高さだった雪が、いつの間にか僕の腰を掴んでおり腕で雪をかき分けなければ歩を進めることも難しい。それでも僕は前に進むしかない。少しでも早く沙羅のもとにたどり着かなくては。
靴の中に入り込んだ雪が体温を奪い、気温以上の寒さを感じさせる。指先はしばらく前から感覚を失っている。歩いているのが道なのかどうか自信がない。携帯電話の小さな画面だけが、僕の進む方向の正しさを示してくれていた。
前へ、前へ。ゆっくりではあるものの、確実に病院へと近づいていた。数百メートル進んだころだろうか、地肌をさらした道路が視界の奥に見えてきた。街灯の明かりがぼんやりと揺れている。
「もう少しだ。あそこまで行けば、沙羅に会える」
僕は自分にそう言い聞かせ、最後の力を振り絞る。足元を覆う雪の感触がだんだんと遠ざかっていく。僕は更にスピードを上げた。
ぐんぐんと明かりが近づいてくる。雪の粒が顔に当たって呼吸がしづらいがそんなこと関係ない。あと数十メートル。数メートル。あと少し――
そのとき、僕の視界から明かりが消えた。
突然のことで動転してしまったが、必死に頭を働かす。どうやら僕の体は勢いよく山を転がっているようだった。道の端ぎりぎりを歩いていたらしく、最後の最後で踏み外したのだろう。
こんなときなのに嫌に冷静だ。体は勢いを増して転がっていく。どこまで転がるのだろう、止まったら早く歩き出さないと。
さっきまで近くにあった明かりが遠いところに見える。僕の体は木にぶつかり、鈍い音を響かせながらその動きを止める。僕の意識はそこで途切れた。
――どのくらいの間、気を失っていたのだろう。携帯電話はさっきの衝撃で落としてしまったらしく、状況がわからない。辺りを見渡してみると一軒の小屋があった。
小屋は簡素な丸太造りをしており、窓からは中の様子が伺える。人影が見えたため、病院の場所を尋ねようと小屋に近づいた。
――コンコンコン
ノックをするも反応がない。ドアノブに手をかけ、くるんと回してみる。鍵はかかっていないらしかった。
扉を少し開けると中から強い光が差してきた。その光は僕を誘っているような気がする。
僕は少し迷ったが、思い切って扉を開くことにした。隙間から差していた光は更に大きくなり、僕を包む。
そのあまりのまぶしさに一瞬目がくらみ、周りが見えなくなる。僕はじっと視界が戻るのを待った。
だんだんと見えてくる。驚くことにそこは、病院の一室だった。
「沙羅?」
僕の目の前には、ベッドに横たわり窓を眺める沙羅がいた。僕の声に反応して彼女が振り返る。
まぎれもなく沙羅だった。彼女も僕に気づく。
「なんで?どうしてここに?」
僕の姿を見た沙羅の目からは、大粒の涙が流れる。僕は沙羅に駆け寄ると力いっぱい彼女を抱きしめた。僕の肩に積もった雪が、病室に散らばる。
「会えてよかった。沙羅、俺も会いたかった」
僕の目からも涙がこぼれる。沙羅も僕のことを精一杯抱きしめてくれた。
――二人してひとしきり涙を流した後、僕はこれまでのことを沙羅に話した。バスが途中で止まったこと。山を転げまわったこと。そして一軒の小屋を見つけたこと。
その話を聞くと沙羅も不思議そうにしていたが、すぐに気にしないことにしたらしい。僕らはたくさん話した。
たくさん話て喉が渇いた僕は、飲み物を買いに行くことにした。
「部屋を出て右よ」
沙羅がそう教えてくれる。すぐそばに彼女がいることがこんなにも幸せだなんて、今まで気づいていなかった。
ドアノブに手をかけ、くるんと回す。
そこは辺り一面雪に覆われた真っ白な世界だった。
――七時間後
僕は再び沙羅の病室に立っていた。以前と違うのは、彼女はもういないということだ。
あのあと、振り返ると、そこには椅子に腰かける年配の男性がいた。男性は急に現れた僕の姿に驚く様子もなく、温かいココアを入れてくれた。
「強い思いが重なったとき、雪はその思いをつなげてくれることがあるんだよ」
男性はそう話してくれた。
結局その日は一歩も歩けないほどの猛吹雪となり、男性の勧めで休ませてもらい、雪が弱まった正午ごろ、車で病院に送ってもらった。
病院につくと、沙羅はもうこの世にいなかった。
彼女が無くなったのは今朝のことだったらしい。
巡回の看護師さんが、息を引き取っている彼女を見つけたそうだ。
沙羅はここ一週間ほど、目を開けることがないほどの危険な状態だったとのことだった。
あの感触は幻ではなかったのだ、僕は確かに沙羅を抱きしめたんだ。
不思議なことにそのとき、彼女の病室には雪が積もっており、その様子は、まるで雪化粧をしているかのようだったらしい。
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