点、繋がる(後編)
「中々上手いこと行かんなあ」
秋風と形容するには厳しい風が吹くこの頃、街の明かりを自らの頭部で反射させながらアキラが呟いた。
「いつも誘ってくれてありがとうございます。もう断られても落ち込まなくなってきましたよ」
シンゴのその言葉は本心だったようだが、「それじゃまずいんですけどね」と付け加えた。
店の外はまだ明るく、大勢の人々が練り歩いていた。外を歩く人を店の中へと押し込むような、肌を差す風が二人を襲う。
「寒っ! とりあえずどこか入ろうや」
二人はすぐそばにあった立ち飲み屋の暖簾をくぐる。店内は大勢の人で溢れかえり、屈託の無い笑い声や、誰に向けたものでもない怒声が、所狭しと飛びまわっていた。
「おっちゃん、ビール二つ頼むわ」
頭に手拭いを巻いた店主らしき人物に、アキラがシンゴの分まで注文する。
「後は適当におでん頂戴」
そう付け加えた注文だけで、おでん以外にも様々な料理が出てきた。
「アキラさん、ここ来たことあるんですか?」
手早く二人の元に渡ったジョッキを合わせながら、業務上の質問かのようにシンゴが尋ねる。
「この辺の店はほとんど行ったことあるなあ、仕事でようウロウロしてるしな」
一口でジョッキのほとんどを飲み干してしまったアキラは、続けてビールを注文する。
「お仕事ですか。いったい何の?」
「それは内緒や。知らん方がええこともあるんや」
「お待たせしましたー!」
ビールと共に運ばれてきたいくつかの料理が、カウンターの上にずらっと並ぶ。
それらをつつきながら、小一時間ほど話していた二人だったが、アキラがはぐらかした仕事については、話題に再び上がることは無かった。
「くあーっ、飲んだなあ! まだいけるか?」
短い時間の中で大量の生ビールを腹に流し込んだアキラ。
上機嫌で財布から二枚の一万円札を出して会計を済ませると、シンゴを引っ張って再び夜の街へと繰り出した。
「アキラちゃん! 久しぶりに寄ってかない?」
店を出てまもなく、アキラの太い腕を掴む白い肌がシンゴの視界に入る。
よくある繁華街としては、飲食店やそれ以外の店である程度区画が分けられているものだったが、この街においてはその線引きは無い。
二人が出てきた立ち飲み屋の隣には、わざとらしく健全マッサージと書かれた風俗店が建っていた。
「いやあ、今日は連れもおるからなあ」
誘惑に対して敗北を認めた目で、アキラがシンゴへと視線を送る。ただそれだけでお互いの考えを伝えられる程。また、その日の終わりがそれでも良いとできる程には、二人は親密な間柄だった。
「わかりましたよ。今日はごちそうさまでした」
軽く頭を下げて去っていくシンゴの背中に、「また遊んでくれや!」と朗らかに声をかけたアキラは、そのまま店の中へと消えていった。
「相変わらず楽しい人だなあ」
このときすぐ近くに意中の女性がいたことを、シンゴは知る由もない。
翌月。今度は遅れないようにと、予定の時間よりも少し早く店に足を運んだシンゴの目に飛び込んできたのは、見知らぬ男に髪を掴まれ、どこかへ連れていかれそうなリサの姿と、その男を食い止めようと対峙するアキラの背中だった。
「痛い! 止めて、放してよ!」
リサの悲鳴が店内の音楽を切り裂く。けたたましく流れる音とは対照的な、三人の周囲を取り巻く人々、その中の一人が事の経緯をシンゴに耳打ちした。
一位時間ほど前から奥のテーブルに一人で座っていたリサ。そこに男が現れ、何かを話していたようだったが、やがて口論になったかと思いきや、無理やり連れていかれそうになったらしい。
被っていたフードがはぎ取られ、あらわになった長い黒髪が力任せに引っ張られている。男の思うまま連れていかれそうになったギリギリのところで、アキラが店に現れたそうだ。
「マスターは?」
わざとらしく口髭を生やしたその男に、シンゴが詰め寄る。
「ちょっと外に出てたらしいんだけど、もう戻ってくるはず。とはいえこれからどうなるんだ?」
口髭を生やした男は、まるで何かの演劇を鑑賞しているかのようにそう言った。他の客は遠巻きに眺めるだけで、その異常事態に参加することを恐れているようだった。
「アキラさん!」
男が出ていくのを防ぐように、じっと睨みを利かせているアキラの隣に並び立つ。
そのアキラよりも体格の良い眼前の男が、シンゴの方へ視線を動かした。
「お前らこいつのなんだ?」
鋭い目つきで睨みつけられたシンゴは、上手く言葉を返すことが出来ない。
それは男に恐怖を抱いているからではなく、関係性の曖昧さに名前を付けることが出来なかったことが理由だった。
「言ってやってくれよ、急に辞めるのは良くねえって。こいつのファンもたくさんいるって言うのに困るんだよ」
「おい、やめろ」
アキラの低い声が男に向かって飛んで行く。
男の発言の意図を理解したアキラとは異なり、シンゴの頭にはまたしても疑問が湧いていた。その顔を見た男は、自分の心配が杞憂だったことに安堵しているようだった。
「なんだ、知らなかったのか?」
「言うな、やめろ!」
リサが腕の中で必死にもがいているが、全く意に介していない男は言葉を続ける。
「こいつはな、この街有数の風俗嬢なんだよ。てっきり世話になってるものかと思ってた」
店内がにわかにざわつく、続いて男がリサの働く店や源氏名を告げると、その騒ぎは店の中を暴れまわった。
普段は徹底して顔を隠していたことや、仕事の話を一切しなかったこと。周りには気づかれないように細心の注意を払ってきたリサ。
そのことが男の虚言でないことは、周りを取り巻く人間の反応でシンゴにも伝わった。
リサは全てを諦めたかのように抵抗することをやめ、力が抜けた体を男に預けるようにしている。シンゴの方をゆっくりと振り返ったアキラは、事実を知ってしまったシンゴのことを労わるような表情をしていた。
「アキラさん。知っていたんですか?」
戸惑うようなシンゴの問いには、無言の肯定でアキラが答えた。
「なんで」
絞り出すようなシンゴの声は、誰にも受け取られることなく溶けていく。
「なんで話してくれなかったんですか? 俺がリサを軽蔑すると思ったから? 落ち込むと思ったから? バカにしないでくださいよ!」
「いや、俺も知ったのは最近でな」
「もういいかい? とにかくこいつは連れていくよ」
二人の会話を遮り、男が扉の方へと歩を進める。その手をアキラが掴み、引っ張られるようにして後をついていくリサの体をシンゴが支えた。
「リサ! 大丈夫か?」
侮蔑や好奇の感情が一つも籠っていない、只一心にリサのことを案ずるシンゴ。リサは俯いたまま顔を上げようとしなかった。
「話してくれ、こいつには借金もあるんだ。それが払い終わるまでは働いてもらわないとな」
「いくらだい?」
店の扉が開く。抑揚のない声と共にそこに現れたのは、隣にマスターを携えたシゲの姿だった。
「シゲさん!」
「なんだお前は、代わりに払ってくれるって言うのかよ」
そんなことはありえないと、そう言わんばかりの態度をする男に対して、シゲは小さく頷いた。
「払ってやるよ。いくらだい?」
その発言が冗談で無いとわかった男は、シゲの方につかつかと歩み寄る。
「じいさん、ちょっと奥で話そうや。払ってくれさえすれば、こいつに用はねえよ」
そう言って突き放されたリサは、シゲの隣にいたマスターの腕に収まる。
「みんなすまない! 少し速いけど今日は店じまいだ」
マスターの一声で場が動きを取り戻す。男とシゲとリサ、そこにアキラとシンゴを含めた六人だけが、閉店後の店内に残ることになった。
「はいよ、そしたらこれで間違いなくっと」
シゲと男の間で交わされる契約書。さっきまでの騒ぎが嘘のように物事が進んでいく。
そこまでしてもらう訳にはいかないと、最後まで断っていたリサは、マスターの元で働いて返していくことになった。
返済の目処を確保した男は、素早く立ち上がり店を出ようとする。一直線に扉へと向かった足は、扉に手をかける直前でピタリと止まり、男が振り返った。
「なんでここまでするんだい? 赤の他人だろ?」
放っておけば何も無かったろうにさ、君も痛い思いすること無かったじゃない。
男の素直な疑問には、シンゴが代表して答えた。
「一緒に遊べなくなるのが寂しいんですよ。ただそれだけです」
「そうか」
それ以上は何も言うことなく、男は店を後にした。
「いらっしゃい。なんだまたシンゴか」
騒動から一か月後。すっかり寒くなった空を歩いてきたシンゴを出迎えたのは、長い黒髪をバッサリと切ったリサだった。
働くのには邪魔だからと短くなった彼女は、それまで見せることの無かった笑顔をよく見せるようになっている。
騒動のことはすぐに広まり、リサ自身も好奇の目に晒され様々な噂が流れたが、懸命に働くリサの姿を見て、その噂も段々と消えていった。
「シンゴ、遅かったな!」
カウンターには既にアキラが座っていた。その奥にはシゲの姿も見える。
「お待たせしました。マスター! ちょっとリサを借りますよ!」
「ちょっと、私は仕事中で……」
断りかけたリサの肩に、マスターがポンと手を置く。
「リサちゃん。こいつらと遊んでやるのも仕事の内さ」
「さすがマスター!」
マスターの了承を得たリサは、待ちわびていたかのようにスマートフォンを取り出す。
「さっさとやるよ」
リサがそう言う頃には、シゲもアキラも、もちろんシンゴも、三人ともがそれぞれの画面しか見ていなかった。
「リサ」
画面から顔を上げたシンゴがリサに語り掛ける。
「なによ」
「今日の仕事が終わったら飯行かね?」
リサもシンゴの方を見る。二人の間にわずかな沈黙が流れた。
リサがそっと口を開く。
「行かない。明日は朝から予定があるのよ」
期待してしまっていたシンゴは、大きく肩を落とす。
「デートか? リサ、デートなのか?」
「シンゴ! うるさいぞ集中しろ!」
アキラの怒声が飛んでくる。シゲはその様子を見てにこにこと微笑んでいる。
わかりやすく落ち込むシンゴの姿を見て、リサもクスクスと笑っていた。
「安心してデートじゃないよ」
「えっ、ほんと?」
シンゴが再び顔を上げる。
「シンゴ! 集中!」
「はい!」
それからはいつも通り、指だけが激しく動く長い沈黙が続いたが、ひとつだけこれまでと違ったのは、シンゴとリサの二人顔だけが、いつまでも綻んでいたことだった。
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