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『続く、イエローマジック』ができるまで



『続く、イエローマジック』ができるまで
―高野寛さんの『ボクの音楽武者修行』を作りたかった―
編集担当 ミルブックス 藤原康二


「今度の土曜日、教育テレビに石野卓球が出るらしいよ」
 音楽の趣味があう友人から教えてもらったその番組は『土曜ソリトンSIDE-B』。彼は、互いに『電気グルーヴのオールナイトニッポン』の熱心なリスナーだったことで仲良くなった、数少ないマニアックな話ができる友人だった。その頃、教育テレビを観ることはほとんどなかったが、石野卓球さんが出るのなら絶対に見逃してはいけないと、テレビの前で放送を待ち構えた。
 番組の司会を務めていたのは、名前は知っていたけれど曲をちゃんと聞いたことはなかったシンガーソングライターの高野寛さんと、俳優の緒川たまきさん。高野さんが『虹の都へ』などで音楽番組に頻繁に出演していた頃は、さほど音楽に興味がない年齢だった。
 卓球さんと高野さんはともにYMOの大ファンということで、意気投合していたことをよく記憶している。そしてその日、私は初めてYMOという存在を意識した。名前を聞いたことはあったが「運動会の時に流れていた曲だよな」くらいの認識であった。私の通っていた小学校では、徒競走のBGMにYMOの『ライディーン』を流していた。
 さほど期待していなかった『土曜ソリトンSIDE-B』はすこぶる面白く、その翌週もテレビの前で放送開始を、ビデオの録画予約もした上で待ち構えた。ゲストとして登場したのは坂本龍一さん。番組の最後、坂本龍一さんと高野寛さんが2人で演奏した曲は、高野寛さんの『夢の中で会えるでしょう』だった。2人が奏でる豊かな音色、それを微笑みながら見つめる緒川たまきさんに、私はすっかり魅了された。VHSに録画したこの日の演奏を、何度も観返した。その日私は、高野寛さん、坂本龍一さん、緒川たまきさん3人のファンになった。
 それから『土曜ソリトンSIDE-B』を欠かさず観るようになった。私の知らなかったYMOに関係するミュージシャンたちがたくさん登場して、俄然YMOに興味が湧いてきた。それまでちゃんと聴いたことがなかったYMOのアルバムをCDレンタルショップで借りて、それをカセットテープに録音して熱心に聴くようになった。当然のように高野寛さんの作品も聴くようになり、番組が終わる頃には高野寛さんとYMO、両方のチルドレンになっていた。最終回のYMO特集を録画したビデオテープは、上書き録画ができないように爪を折って、永久保存版にした。

 それから10年以上が経ち、ミルブックスを始めて数年が経った頃、菓子研究家のいがらしろみさん、音楽家の伊藤ゴローさん、音楽レーベル333discsの伊藤葉子さんを通じて、高野寛さんと一緒に作品を作る機会を得た。高野さんが HAAS名義で発表したインストアルバム『Music for Breakfast』の企画立案を担当した。それから高野寛さんと一緒に、絵本付きシングル『おさるのナターシャ』、写真集『RIO』、対談集『夢の中で会えるでしょう』など、いくつかの作品を制作した。
 いつだったか忘れてしまったが、もう10年近く前になるだろうか。高野さんと打ち合わせでお会いした折、1冊の本をお渡しした。それは小澤征爾さんの名著『ボクの音楽武者修行』。若き小澤青年が、ヨーロッパをスクーターで一人旅しながら、数々の大きなコンクールで受賞していくさまが、飄々とした瑞々しい文章で綴られている。文中で小澤さんは「棒ふりコンクール」と書いているが、とても大きなコンクールで受賞したことを、なんでもないことのように綴っている。そこが小澤征爾さんらしくて好きだ。
 この本を高野さんも気に入ってくれた様子だった。なんの説明もなく、唐突に高野さんにこの本を渡したのは、ずっと胸のうちに秘めていたアイデアがあったからだ。いつか高野寛さん版の『ボクの音楽武者修行』を作りたいと思い続けていたのだった。
 高野さんは、自身がフロントに立つシンガーソングライターとしての活動だけでなく、数々のバンドのメンバーであり、多くの名曲を世に送り出してきた名プロデューサーであり、後世に語り継がれる伝説のライブにギタリストとして多数参加している。その全貌を伝えるべく、高野さんの軌跡を一冊の本にまとめたいと思い続けていた。
 時に高野さんは「過小評価されているミュージシャン」と言われることがある。それは活動があまりに多岐にわたっているため追いきれないことが理由だと、いちファンとして考えていた。高野さんがいなかったら、この世に生まれていない名曲、名演が多数あることを残したい。そして、私がテレビを通して高野さんからYMOを教えてもらったように、高野さんの経験と言葉を通じて、改めてYMOの魅力を広く伝えたかったのだ。
 しかし、私はそれをすぐに高野さんに話すことはなく、ずっと機が熟すのを待っていた。そして2023年8月29日、来年(つまりは今年2024年)12月14日に還暦を迎えるタイミングにあわせて高野寛さん版の『ボクの音楽武者修行』を出したいと、意を決してメールした。当然、同年の年頭に高橋幸宏さん、坂本龍一さんが旅立ってしまったことも意識の中にあった。今こそ高野さんの軌跡を残す時だと、直感的に思ったのだった。
 メールを送ったその日のうちに、高野さんからこんな返信が返ってきた。
 「春先は追悼のコメントや原稿依頼が沢山来て、ある程度お受けしたんですが、
  最近はライブが劇的に増えたこともあって、原稿はお断りしています。
  もう少し時間を置いて、個人的な出来事を中心にならば、書けるかもしれないです」
 その後、1年近くをかけて執筆してくれたのが『続く、イエローマジック』である。小澤征爾さんの『ボクの音楽武者修行』と同様、数々の偉業とも言える事柄が、楽しくわかりやすい言葉で魅力的に書かれているので、ついスラスラと読み進めてしまう。しかし、改めて高野さんの音楽人生を辿って、もしも高野さんがいなかったら、たくさんの素晴らしい音楽がこの世に誕生していなかったことを知った。そして本書には、YMOだけでなく高野さんがこれまでに一緒に音を奏でてきたミュージシャンたちの交流が丁寧に綴られているが、上の世代からも、同世代からも、下の世代からも愛されている理由がよくわかった。
 高野寛さん、YMOが好きな方はもちろん、その音楽に一度も触れたことがない人が読んでも楽しめる、普遍的な本ができたと思う。この本を読み終わった後、かつての私が『土曜ソリトンSIDE-B』を観た後のように、高野寛さんとYMOの音楽を聴きたくなるだろう。本書のタイトルの通り、イエローマジックはこの先も続いていく。

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