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神戸と私〜そして音楽と食文化②
神戸に生まれ育った私の環境。
なぜ今の私があるか、続きです。
私の父の話を少し。
神戸の北野で生まれ育った父。
隣にはイギリス人、北隣にはドイツ人が住んでいたそうで、紅茶を好んで飲んでいた父はお隣のイギリス人からの影響を受け、そして北隣のドイツ人の邸宅から毎日ピアノの音色が流れていたそうでクラシック音楽をこよなく愛した父はその影響でクラシック音楽に興味を持ったそうです。
父自身は音楽家ではなくクラシック愛好家でしたが評論家が父のところへ来るくらいクラシック音楽の知識を持った人でした。
母はというと独身時代は毎月関西交響楽団(現・大阪フィルハーモニー交響楽団)の定期演奏会に通っていたというクラシック好き。別に父と母はそこで出会った訳ではないのですが、たまたま二人ともクラシック好きだったのです。
なので私は生まれた時からクラシック音楽が流れている環境で育ったのです。
特に私のために父と母が聴かせていたのはベートーヴェンの交響曲「田園」。
それをオーケストラと指揮者違いで聴かせて、どんな反応をするのか?と生まれたばかりの私に聴かせていたそうです。
カラヤン指揮のベルリンフィルの田園を流すと私はむずがって泣き始めブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団の田園ではスヤスヤと眠りだしたらしく「この子は音がわかる」と喜んだ父は相当な親バカだったと思っています。
特にベートーヴェンが大好きで部屋にはベートーヴェンのデスマスクが飾られていて、夜の暗闇で見ると幼い頃はよく泣きそうになっていた私です。
また、叔父が某メーカーのステレオのエンジニアだったこともあり、我が家にはステレオが2台あり、同じレコードをよく聴き比べしていました。叔父はこの曲のこのオーケストラのこの指揮者の演奏を聴くためにアンプを作るというマニアックな人で、今思えば兄弟揃って北隣のドイツ人のお家から流れるピアノの音が影響したのかと考えています。
クラシック音楽が好きな両親のもとで育った私は自然とそれを受け入れるようになったのです。
そして私が音楽を始めることになったきっかけは。。。
また次回。