![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157293025/rectangle_large_type_2_8f80cc78e2350ce451d331c84fd8090d.png?width=1200)
映画感想文「Birdman, The Unexpected Virtue of ignorance」バードマン あるいは無知がもたらす奇跡 タイトルがちょっと違うような気がしてます
バードマン、あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡という長い日本語タイトルですが、これは意味が違うのでは?と思います。Virtueとは、奇跡ではなく美徳です。なぜ、奇跡にしたのか不思議です。
この映画は本当に語るべきポイントがたくさんありすぎて、なにから話していいのかわかりません。それくらい魅力に満ちた作品だと思いました。
まず、散文的に書きますが、エドワード・ノートンが素晴らしい。ファイトクラブの頃の彼を思う。彼の魅力、男性としての色気だったり、知的な部分、危うい部分などが開花していて、昔大好きだったことを思い出した。
ブロードウエイの演劇人のいかれた感じが素敵です。
舞台人は本当に映画の人間をバカにしますよね。たしかに英国はそうです。舞台にでているひとしか尊敬しないですから。
舞台で活躍している誇り高き傲慢な俳優をうまく演じて素敵でした。
舞台のなかではなんでもできるけど、素の自分になると自信がないという。自分を圧倒的な存在と信じているけど傷つきやすくセクシーで自分勝手な俳優を演じて最高におかしかった。
頭にきたリーガンになぐられて、「次はライアン・ゴスリングを呼べばいいじゃないか」という叫ぶシーンが最高におもしろい。
そして、主演のマイケル・キートン。彼は、最高にはまっているし、うまかった。アカデミー賞でもさめた感じがかっこいいです。彼にとって、人気とか、賞とか案外どうでもいいようなひとのような気がします。あまり評価を気にしているタイプのひとじゃないような気がするのです。
ストーリーは昔の映画俳優が、おちぶれて自分の全財産をかけて、レイモンド カーバーの戯曲をブロードウエイにかける。プレビュー前に共演のへぼ役者の頭のうえに機材が落ちて、その代役にいかれた若手の名優 エドワード・ノートンが現れて、どんどん、リーガンは頭がおかしくなってくる。
ま、その前からも自分がかつて、演じたスーパーヒーロー バードマンがいつも自分の脇にいて変なことをささやく。
この映画は、自己とはなに?という命題との戦いでもある。演劇の世界の人間が浅薄な映画の世界の人間をばかにしている。ものをつくる人間たちの芸術とか表現とか、いろいろなテーマがあります。
映画は浅薄で、舞台は崇高なんて、そんなこと絶対ないと思います。
そのなかでも、劇評論家との辛辣なやりとりが、この映画の核かもしれません。
評論家の女が「劇はみていないけど、あなたの劇を酷評して、ブロードウエイから追い出してやる」といいます。なぜなら、「あなたがきらい。浅薄な映画の世界の有名人が、実力もないのに、ブロードウエイの舞台に立つのは許せない」と。
そこでリーガンは、「評論しているだけのあんたになにがわかる」とはげしくなじります。
このシーンが面白い。
ともかくすべてのシーンが面白いのですが、最後のほうが、、ちょっと、、いけてないかも。
説教くさいかなと思います。
ともかく、いろいろと書きたいことがあるので、また、追加で書いていきます。