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#映画感想文 「若き見知らぬ者たち」 若者の貧困、不条理への無力さを描く。なんとなく消化不良

あらすじ

亡くなった父の借金を返済し、難病を患う母の介護をしながら、昼は工事現場、夜は両親が開いたカラオケバーで働く風間彩人。父の背を追って始めた総合格闘技の選手となった弟の壮平も、借金返済と介護を担いながら、練習に明け暮れる日々を送っている。そんな息の詰まるような日常のなかでも、恋人である日向との小さな幸せを掴みたいという思いが、彩人のかすかな希望だった。しかし、彩人の親友である大和の結婚を祝う幸せな宴会が開かれた夜、思いもよらない暴力によって、彼らのささやかな日常がもろくも奪われてしまう。

彩人役を磯村勇斗、日向役を岸井ゆきの、壮平役を福山翔大、大和役を染谷将太がそれぞれ演じるほか、霧島れいか、滝藤賢一、豊原功補らが脇を固める。

引用ー映画.com


ヤングケアラー、それに伴う貧困を描く社会派ドラマなのかな?と思うけど、かなり、納得ができないシーンが多かったし、結局なにを言いたいのか、わからないので意図がはっきりしないまま、終わっているようで消化不良。

俳優陣はがんばっているけど、説得力にかける。さらに、見事な格闘技シーンなんだけど、これは「この世の不条理な暴力に対して、戦え」という父親の教えなのかなと思うけど、この映画のテーマとうまくつながっていないような気がしました。

警察の描き方(滝藤賢一)があまりにも乱暴で、こんな警察官がいるとは思えず、アメリカ並みの極端な警察官の描き方でちょっと現在ではあり得ないかなと思う。まず、被害者を加害者として、連行するなんてあり得ない。

納得できないことが多く、最後も彼が殺されたということの事実に対して、うやむやな終わり方をしているのも、どうなのかなと。

それは無力で自分自身を助けることができず、無念に死んだ主人公はある意味、自分で命を絶ったと同じという冒頭のシーンとつながっているのかもしれないけど、あまりにも救いのない終わり方の創作。

まず、彼を死においやった半グレの3人が野放しになっているのというが、日本ではあり得ないと思うし、警察にその責任が追求されないということだけで納得できない。

フィクションだからいいじゃないかと言われても、あまりにご都合主義の絶対的な悪。

自分のなかで整理して、なにがいいたかったのかな?と思うと、自分を助けることができず、無惨な最後を迎えてしまった兄と暴力(格闘技)と戦い続けて勝ち残った弟を対比させて、「俺はどんなことがあっても戦い続ける」と宣言した弟の最後の虚しい顔で終わっているわけだと、、やはり、わかりません。なにを言いたかったのかなと。オープニングナイトのセッションやインタビューを読んで、兄から弟へ繋いでいくという思いを描いたといっているけど、敗北感をつなぐという意味なのか。。

監督は、内山拓也さん。初めての商業長編映画ということですが、うむうむ、、あまり好きにはなれない感じでした。

コラージュのように過去と現在が行き来、そして、映像制作における技術だったり、才能もあると思うけど、いつもノイズがのったような絵がなんだか、ささくれだって見える。

救いのあるテーマを描く必要もないのだけれど、非情な世界でどんどん、追い詰められてさらに死んでしまう主人公があまりにも弱者、悲惨でそれを描くことにどういう意味があるのかなと思う。

そういう可哀想な名もなきものがほかにもいるよという警告なのか、と思うけど、それはそれで、そういう映画を作って社会的なセーフティネットを作っていこうということではないような気がする。

納得できて感情移入できるストーリーテリングを求める。

役者たちもきつかったのでは?と思う。