ラジオが私を育てた
私はパッと見は たいへん大人しく見えるらしい。実際、大人しい方だと思う。
しかし、ラジオパーソナリティーをやらせていただいた時は一変する。自分でもマイクの前では“パチッ”と自分に電源を入れる。別人ではないが、ラジオパーソナリティーになる私がいる。いつも何気に聴いていた名前も分からないけど心地よい軽快な都会の東京FMの女性パーソナリティーになっているつもりである。放送中は放送事故にならないように とにかく都会のお洒落女性の様に素敵に注意を払う。生放送なら物凄く注意を払う。
私はラジオが大好きで、中学生までは親が選局したAMを中心に聴いていた。なので落語も大好きである。一人部屋を与えられた高校生の時に初めて自分でFMを選局した。深夜のFMをずっと聴いていた。am3時に寝るのが日常で、学校ではよく寝ていた。志望校を選ばず、ふて腐れた高校生活だった。でも私がグレずに育ったのは“コサキン”や“伊集院光 深夜の馬鹿力”があったからだ。ラジオから聴こえてくる“都会の砕けた大人の会話”が私の寂しい心のオアシスだった。
今もそうだがラジオはいつも聴くばかりでパーソナリティーのファンになっても“お便り”もそうそう出さない。ラジオで話す声はその人自身が伝わると思う。絶対に隠せないのがラジオだと思う。ずっと日常的に聴いていた地元のラジオ番組のパーソナリティーが ある日突然亡くなった。あの日の事を昨日のことのように覚えている。身内でもない ましてや会ったことも見たこともない全くの他人のはずなのに とてつもなく悲しかった。学校から帰宅して制服のままラジオの前で泣いた。“芸能人”が亡くなって泣いたのはこの時が初めてだった。それ程、私の中でラジオの中のパーソナリティーの“彼”は当たり前に日常に存在していたからだ。
ラジオは私にとってスマホやテレビ、新聞、本にも負けない情報ツールなのである。そんな私には大義な”ラジオ”のパーソナリティーを私は自分がやるとは 露程も思っていなかった。
しかし
私の夢は“声優”。そのために“ラジオ番組”を制作して“番組”をさせてくださいと局を訪ねた。
“好きこそ物の上手なれ”を拳に握り
大好きだったあの東京FMの都会の女性のように スタジオで“自分の番組”をさせて頂くことになった。軽快な番組を心掛けて1年半ほど 放送させていただいた。マイクの前だけは 後ろに引かない。背筋を伸ばして前に出る。高校生の頃の“私”に話し掛ける様に 見えないけど聴いてくださっている方のために。
“声”には“力”がある。目では伝わらない“モノ”がある。耳で“聴く”からこそ”届くモノ”がある。
サポートをしていただいたお金で、演劇を観に行きます。そして、人間力と表現力を磨きます💎✨