信用できる夫(彼)
7年前に披露宴の友人代表挨拶を頼まれた。
私は“NO!”と即答した。
が、私は結局押されて代表挨拶を引き受けた。
何故ならその友人には私よりはるかに長く付き合っている友人が他に何人もいるのだ。私ではないのは確かである。
頼んだ理由は敢えて聞かなかったが、私の披露宴では彼女に頼んだので、たぶんそれが理由なのかもしれない。
私が彼女に友人代表挨拶を頼んだ理由は唯一小6から高3まで学校(クラスではない)が一緒だったからだ。やってもらった手前、今となっては大変ご無礼な話だが、友人代表をお願い出来る程、私達は親しくなかった。その証拠に彼女の披露宴から7年経ったが一度も会っていない。彼女の友人代表は私ではないのである。(※ブログ冒頭に戻る)
2ヶ月前に占いをした。占い師によるとわたしは人を信用しない人らしい。正解である。人を信用するのは私には大変難しい。なので、ペラペラと話をしているように見えても心の内は固くバリアしているのである。占い師さん正解⭕
~ 今日のブログの題名へ ~
ちゃんとした友達の定義は解らない。が、私なりに思う友達の定義はお互いに“たくさん共感できるところがある“ことではないかと思う。(以下惚気のようになります。ご注意ください。)
一人だけいる。
彼(夫)である。
彼(夫)は私の友達。なので彼(夫)は経緯と敬意を込めて私のブログでは“彼(夫)”なのだ。
大学生の時に父が亡くなり一緒に哀しんでくれたのは彼(夫)だけだった。何度も大学を辞めようと思ったが、彼(夫)がいたので辞めなかった。痛みが解るのが“友達”だと知った。信用できる人がいるのだと驚いた。なので”一緒にいられる”から結婚をした。
しかし、やはり持って生まれた性分は変えられないのである。日々、彼(夫)は私の“信じられない”性分に頭を抱えている。申し訳ない極みである。