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書く習慣1ヶ月チャレンジDAY3「今いちばんやりたいこと」〜青春の色なんて、未来で上塗りしてしまおう〜

高校1年の秋、私の世界から色がなくなった。

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小学校卒業を控えた、冬の終わりのことだった。

私は母と話し合って、自分の前にあるふたつの道のうち、一つを選んだ。

音楽は、私が捨てたほうの道だった。


捨てたといっても、職業にはしないというだけで、趣味として音楽とはずっと関わっていくつもりだった。

だから、音大には進まないけれど、中学でもピアノを弾き続けたし、合唱コンクールの伴奏も引き受けた。

アイドルが好きで、ずっと流行りのアイドルの曲を聞いていた。初めてモーニング娘。のコンサートに行ったときの感動は、今でも忘れられない。


高校に入学して、洋楽にも興味を持った。
中学時代、英語の授業で歌ったビートルズやカーペンターズの曲を借りてきては、懐かしみながら聞きあさった。
ほんの少し前のことなのに、高校に入学するとぱったり会わなくなってしまった、中学の友だち。
仲良くしていた子たちとはみんな高校が離れてしまったこともあり、毎日聞いては、数ヶ月前まで机を並べていた彼女たちとのありふれた、でもかけがえのない日々を思い出していた。

きっとこうやって、音楽はずっと私の人生を彩り続けてくれるもので、私の心に寄り添い続けてくれるもので、そうじゃなくなる日なんて、想像もできなかった。


高校生活にもすっかり慣れた11月、模試の成績が返ってきた。夏の模試よりガクンと落ち、想像以上に悪い成績だった。


小学校卒業の前に選んだ自分の道は、普通に勉強して、自分の目標とする大学に入学するというものだった。
自分にはひとつ学問として学んでみたい分野があり、幸いそれが専門的に学べる学部が地元の大学にあったので、迷わずそこを第一志望に決めた。

まだ高校一年生。でも、その模試の成績を見ると、その大学に合格するには、かなりギリギリの成績だった。

しかし自分には、この成績になってしまった原因に心当たりがあった。

音楽だった。

毎日のように好きな音楽を聞いていた私は、定期試験のとき以外勉強など全くしていなかったし、模試中もお気に入りの音楽が脳内にずっと流れていて、今ひとつ集中できていなかったのだ。

これまでも何度かそういうことはあったけれど、何となく作ってしまった解答でも問題のある成績はとっていなかったので、今回初めて、「まずいな」と思った。

試験中はもちろん、今後勉強中は、もし脳内に音楽が流れてきてしまっても排除しなければ、とその時は思った。

しかし、「排除しなければ」と思えば思うほど、さっきまで聞いていた音楽がどんどん流れてきて、「これじゃダメだ消さないと」と思えば思うほど目の前の問題に集中できなくなっていった。


次の日も、その次の日もダメだった。

11月の終わり、電車から遠くの夕闇を見つめながら決心したその日のことは、今でも覚えている。

朝から夕方遅くまで授業、テストと模試ばかりの色のない高校生活に彩りを与えてくれた音楽を、もう今までのようには楽しむことはできない。

みんな当たり前のようにMD(もう今となっては若い子たちは誰も知らないが)プレーヤーで音楽を聞き、流行りのアイドルの話をし、コンサートに行き。
それでいて、ちゃんと勉強とも両立できていて。

どうして自分だけ我慢しなければならないのか。

みんな当たり前に持っている大切なものを、誰よりもそれを愛していたはずの自分が、なぜ取り上げられないといけないのか。

悔しくてたまらなかったけれど。


その日、私は音楽を辞めた。


ピアノも弾かなくなったし、CDを借りに行くこともなくなった。
もちろん、日常生活で全く音楽を聞かないなどということは無理だけれど、極力、音楽を耳に入れないようにした。


その甲斐あって、勉強には異常なほど集中できた。
何かを選ぶためには、何かを捨てなければならない。
心を空っぽにすれば、世界に色があることを忘れれば、そんなにつらくない。

あと2年半。2年半耐えて、受験が終わったら、また一色ずつ、色を取り戻していけばいい。


しん、と静まり返ってしまった毎日の中で、卒業までの日を数えながら、ひたすら淡々と日々の勉強や試験をこなしていった。


高1も終わりに差し掛かかった頃、1月に受験した模試の結果が返ってきた。
11月の模試から、偏差値が11上がっていた。

志望校のボーダーのほんの少し下だった偏差値は、志望校のボーダープラス10になった。
校内順位もかなり満足できるものになった。
ぽっかりと心に穴があいていた寂しさや虚しさが、満たされていく感じがした。

これでいいんだと思った。
それから私は、志望校こそ変えなかったものの、自分で偏差値や校内順位の目標を定めて、ずっと高みを目指してやり抜いた。

それが、無機質な学校生活、色を失った青春の痛みに耐える方法だったのだと思う。
卒業までの残り日数を思わない日はなかった。

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高校を卒業して、10年以上が経つ。

今私は、あの頃奪われた音楽を、存分に楽しんでいる。


しかも、ひょんなことから、あのとき選ばなかった音楽の道を、もう一度志すことになった(ピアニストとして生きていく道や、ピアノでの作曲しか知らなかった私は、数年前にDTMと出会って、今その魅力にどっぷりと浸かっている)。

勉強を頑張ったことで手にした今の仕事は、続けたままで、である。

2000年に入ったばかりのあの頃、まだ、「何かを選んで何かを捨てる」のが人生だった。少なくとも、私はそう思っていた。

でも、時代が変わり、自分の考え方も変わり、「何かを選んだ上で、さらに何かを選ぶ」ということも、珍しくなくなった。

しかも、その選択肢の数といったら、あの頃想像していた何倍もあるし、あの頃全く想像していなかった類のものだってある。

やっぱり、想像は想像でしかないから、面白い。
先のことを考え備えることは大切だけれど、そのときに無い選択肢が今後生まれる可能性だって大いにあるから、だから悩みすぎてはいけないんだと思う。

今となっては、志望校に合格する基準をはるかに超える目標を自分に課し、それをやり抜いた自分の経験は、今の自分の大きな支えになっている。

ただ耐えればいいと思っていたモノクロな日々が、自分を彩る色の一つになっている未来なんて、あの頃想像できただろうか。

グレースケールな自分の青春が、ずっとコンプレックスだった。でも、青春の色なんて、あとで上塗りできるんだ。

最後になってしまったが、私がいまいちばんやりたいことは、音楽だ。

一度、あえて選ばなかった道。
一度、奪われた宝物。

きっと、自分にとって本当に大切なものであれば、目先の大事なことを優先してそれを諦めることがあっても、いつかまたきっと、出会えるんだと思う。

たとえば、今学生で、何かを選ぶために、何かを諦めなければならない子がいたら、ぜひそう信じてほしいなと思う。

それをやり続けることだけが正解とは限らないから、一度ほかの大事なことを優先することだって、正しい生き方だ。

その中で、別の夢が見つかるかもしれない。
でも、一度選ばなかったその道が、自分にとって本当に大切で必要な道なんだったら、全然違う方向性だったり、そのときは想像もつかなかった選択肢を携えて、きっとまた目の前に現れる。

私はそう信じているし、これからもそう思って生きていきたい。

11月が来ると毎年思う、あの高1の秋。
あの頃の苦しさや寂しさが鮮明に思い出される秋愁に押しつぶされそうになっていたが、再び音楽の道を志すようになってからは、不思議と背中を押してくれるような思い出となった。




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