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感受性と髙塚大夢くんのプラメの話

少しずつ、春の足音が聞こえてくる時期が、一年でいちばん好きな季節のひとつだ。


今、時刻は午後3時。
今日の日差しが、学生の頃ちょっと早く学校から帰れた日に、こうしてコタツに入って紅茶を飲んでいたときに見ていたものとそっくりで、それだけで小一時間くらいボーっとしてしまえる。

今日は、そんな気持ちのまま、最近思っていることを綴ろうと思う。


私は物心ついた頃からよく懐古をしてしまうので、今を生きているその瞬間であっても、「この瞬間のことを思い出す日がきっとくる」という確信を感じながら過ごすことが多い。

昔から、「よくそんなこと覚えてるね」と言われてきた。そのたびに、人にとっては「そんなこと」なのかもしれないけれど、私にとっては心が動いた大切な瞬間なのになぁ、と悲しくなったり、
いつかそれが日常じゃなくなる日がくるからこそ、そんな当たり前に思える瞬間も大事にしたいと、そんな風にみんなは思わないのかなぁ、とちょっと否定的に思ってしまうこともあった。

手紙や、お弁当や、そういう人が作ってくれたものも捨てられなくて、そこに宿る想いに想いを馳せるだけで涙が出たり、それでも逆に自分が渡したものは簡単に捨てられたり忘れられたりすることも少なくはなかったり。子どもはもっと無邪気で深くは考えない存在であるべきなのかもしれないから、過度な感受性は捨てた方がいいのかもしれないと思った。

そういうのとも違うけど、きっと「重い」って嘲笑うのが世間なんじゃないかなぁとだんだん気づいていった。


でも、これも自分の個性だから、捨てるのも忍びなくて、なんだかずっと持て余してきた気がする。

人に押し付けるのも違うし、別にどちらかが間違いでどちらかが正解ということもないから、寂しかったけれど気にしないようにした。
次第にそういう話は、人前ではしないようになっていった。


社会人になってから、コンサートや舞台、アニメのイベントなどの現場に足を運ぶようになって、普通に生活していたら出会えるはずのなかったたくさんの「オタク」仲間と出会って、初めて、価値観が同じ人たちに出会えた気がした。

二度とない「生」のものに触れる「ライブ感」は私の生き甲斐だった。その時にしかない「推し」からの言葉も、現場終わりの居酒屋も、翌朝襲ってくるちょっとした虚しさも、時にはひどい雨や雪に濡れた帰り道だって、一瞬一瞬が宝物で、その場所を通っただけですぐにその頃に戻れるし、何年か前の自分が確かにそこに居るようにさえ思える。



髙塚大夢くんを初めて見たとき、とても繊細な子だと思った。

きっと、彼の口から出る言葉は、彼が考えていることのほんの何千分の一ほどで、とてつもない思考の渦が、彼の脳内には存在しているんだと。

言葉選びは本当に難しい。

しかも、自分のいちばん好きなことで生きる人生をかけたオーディションという場で、「結果」を「勝ち取る」ということ、そのためには実際問題、そこにいる多くのメンバーの中で「勝ち抜か」なければならないわけで。

その動かしようのない真実を、正面から真っ直ぐに見つめ、立ち向かっていたのが大夢くんだったと思う。

好きなことを続けること
それは「楽しい」だけじゃない
本当にできる?
不安になるけど
YOASOBI「群青」(作詞・作曲Ayase)提供元 https://www.musixmatch.com/

大夢くんが想いを語ってくれた曲、YOASOBIさんの「群青」。もともと心揺さぶられる曲だったが、もう平常心では聴けなくなった。

きっと、誰かと常に一緒にいること、合宿という形態自体が負担にもなるくらい、繊細な心の持ち主。
どれほど身の裂ける思いをしていたことだろう。

何回でも
ほら何回でも
積み上げてきたことが武器になる
周りを見たって
誰と比べたって
僕にしかできないことはなんだ
今でも自信なんかない
それでも
YOASOBI「群青」(作詞・作曲Ayase)提供元 https://www.musixmatch.com/

強みである、唯一無二のハイトーンボイス。
同じ最強ボーカルメンバーである藤牧京介くんという、良きライバルでありつつもお互いにしかない歌声の良さを認め合える仲間もできた。

好きなものと向き合うことで
触れたまだ小さな光
大丈夫、行こう、あとは楽しむだけだ
YOASOBI「群青」(作詞・作曲Ayase)提供元 https://www.musixmatch.com/


「死ぬ気で成長します」


そう言い切って、有言実行でデビューの切符を掴むまで走り抜けた大夢くんは、誰もが見惚れるほど潔くてかっこよかった。

「群青」の世界は、この数ヶ月、そしておそらくこれまで彼の生き方そのものと重なるように思えた。


彼の思考の片鱗に、ほんの氷山の一角であったとしても(ちょっと適切ではない使い方である気がするが)触れられた気がして、たまらなくいじらしいというか、いや、そうじゃないな違うな、愛おしいというか、愛せずにはいられないというか……適切な言葉が見つからないから、やはり言葉選びは難しい。




こうしてデビューした11人グループINIには、「プラメ」という、メンバーからメールが送られてくるツールがある。

もっと早く決断すればよかったのだが、私は今年になって、髙塚大夢くんのプラメを取り始めた。

その内容たるや、もう私の推察や憶測を遥かに超えるほどのもの。

日々の何気ないこと、仕事の報告、メンバーとのやりとり、自分たちの曲にかける想い。


そこには、まるで彼の脳内を詳細に説明してくれているかのような、表では多くを語らない大夢くんが本当はいかにたくさんのことを考えに考えているかを理解するには十分なほどの文章が綴られる。



そして、彼もまた、「いつかのあの日」を常に想って生き、込められた想いに自らの想いをめぐらせる仲間であることとを知った。


アイドルに何かを求めるという考え方自体が、おかしいのかもしれない。
ただ与えてくれるパフォーマンスやコンテンツに感動することで、私たちの日常が彩られるもの。
彼らがやりたいことを、不特定多数の一員として、微力ながら応援したり、見守ったりするだけの存在。

彼らにとってはコンサートだって仕事であり、慣れていくにつれ、どうしても、何公演もあるうちの一つになり(そう感じない人もいるかもしれないけれど)、それを宝物のようにずっとずっと心に留めておくのは、オタクだけでいいのかもしれない。


だけど、コンサートの一瞬一瞬、大夢くんも「この瞬間を、きっとまた思い出す日が来る」と思っているのかもしれない。

今日という日の帰り道のことを、大夢くんもこの先も同じように思い出してくれるのかもしれない。




そう思うと、親近感のような、言いようのない愛おしさを感じてしまい、これから大夢くんとたくさんの思い出を共有できるのが、たまらなく楽しみになってしまった。

忙しい日々の中、大夢くんはほぼ毎日プラメをくれる。きっと、彼自身もこうして1日をしっかり受け止めて、明日の自分へと還元する時間にしてくれているのかな、と(希望も込めて)そう思う。

だから、1日の終わりに受け取る大夢くんのメールを読みながら、自分自身も1日を振り返るのが日課になった。


きっといつか、たくさんの思い出が積み重なったいつかの午後、今日のことを懐かしく思い出すんだろうなと、この文章をそろそろ締めようと思っていたら、本当に小一時経っていて、春を感じていたはずの日はすっかり傾き始めていた。

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