書く習慣1ヶ月チャレンジDAY4・「1番変えたいこと」
私が1番変えたいと願っていることは、報われない努力の存在だ。
もうずいぶん前になるが、教え子に、非常に真面目で努力家の女の子がいた。
正直言って、平均の数倍、理解や暗記に時間のかかる子だった。応用力もなく、一度完璧にできたプリントでも、少し出し方が変わるだけで間違えてしまう。
しかし、彼女は常に上を上を見ていた。
隣の席の子はいつも授業中よくふざけていて、部活ばかりで、塾などにも通っていないのに、ほとんどの教科で90点以上だ。
自分のいとこは、地域でいちばんの高校に通っていて、学年でも上位だ。
自分より下の人を見て安心するような発言はよく聞く。
しかし、これほどに自分の足りないところばかり見つめて常に高みを目指す子は、なかなか居なかった。
だから、彼女はいつももどかしくてたまらないという表情をしていた。
実力がついていかない自分が不甲斐ない。
自分の半分も努力していない子たちが、自分よりはるかに上の点数を取っていくのが悔しい。
彼女は、私との勉強が終わって家に帰っても、寝る間も惜しんでずっと勉強していた。
一度はきちんと理解した内容でも、別の教材で改めて解くと間違いだらけ。
そんな状態に負けずに努力し続けた彼女には、頭が上がらなかった。
しかし、返ってきた点数は、70点台だった。
正直言って、問題量も多く難易度も高めの試験問題だったので、45分の試験の中でよく頑張って取れた、と褒めたいくらいだった。
実際、彼女より理解が数段早い子でも60点台だったので、彼女の努力はきちんと点数になって現れたと私は思った。
しかし、このテストがきっかけで、彼女は私のもとを離れることとなった。
今回、本当に全てをかけて、今までのさらに何倍も努力して臨んだ試験だったのだそうだ。
それなのに、80点、90点取っている人が居た。
中には、ちゃんと勉強を頑張っている人もいるけれど、明らかに授業に集中していなかったり、いつも部活動で忙しくしていて試験前のほんの2、3日しか勉強をしていないような人も居た。
全部の時間を使っても、そんな人たちに勝てない自分がもう壊れそうだと。
だから、一回もう勉強を休みたいということだった。
私は、自分の無力さを感じたと同時に、言いようのない虚しさに襲われた。
努力には、正しい方向性も必要だ。
私は、それについても、彼女に合った学習法を考え、提示してきたつもりだった。
彼女の努力は報われなかったのだろうか。
私は、報われたと思った。
だけど、彼女自身がそう感じている以上、報われなかったのだと思った。
「報われる」とは何なのか。
私は、大きく分けて2つの意味があると思う。
1つは、シンプルに「求めていた結果が出る」ということだ。
彼女の場合であれば、能力だけで点数を取っている子達に勝つこと。90点なり、95点なり、自分自身の納得いく点数を取ること。
2つ目は、「求めていた結果ではなかったけれど、頑張ったことで何らかの学びを得て、それが自分の成長につながった」ということだと私は思う。
それは、すぐ感じられることもあれば、ずいぶんと経ってからそう思えるようになることもある。「あの経験があったからこそ、今の自分がいる」というあの感情だ。
だから、2つ目の意味まで含めれば、「全ての努力は報われる」という言葉は、本当なのではないかなと思う。
でも、これには、ある一つの力が必要だ。
それは、「切り替える力」だと思う。
「あんなに頑張ったのに」、結果が出なかったとき。
いつまでもその感情に引きずられてしまい、ネガティブな波に飲み込まれてしまっては、例えばまだ挽回できる次の試験や試合がちゃんと残っていても、そこで結果を出せる可能性があっても、エネルギーは途絶えてしまう。
そして、残念ながら、人には向き不向き、得手不得手というものが少なからず存在する。
だから、「これで結果を残したい」「私はこの道で行きたい、生きたい」と思っても、その思いや興味が、自分の「得意」「その道で生きていける力」と一致するとは限らない。
だからどうしても、「こっちではない」という事象が生じてしまう。
そんな時、「自分がダメ」なのではなくて、「自分にとっては、こっちの道じゃなかった」という風に捉えて、別の可能性を模索し、別の何かを見つけられるかどうか。
しかしそれは、そう簡単なことではない。
朝の連続テレビ小説「エール」で、森山直太朗さん演じる藤堂先生が、幼少期の裕一に届けてくれたこの言葉が、私は大好きだった。
「人よりほんの少し努力するのがつらくなくて、ほんの少し簡単にできること。それがお前の得意なものだ。それが見つかれば、しがみつけ。必ず道は開く」
きっと、どの人にもこれがあるんだと私は信じている。
ただ、その道に導いてくれる、道を見つける手助けをしてくれる、こうやって手を差し伸べてくれる存在に出会うことが、本当に難しい。
どうも今の時代でも、「根性」「気合いが足りない」といった言葉で、本当に自分にとって苦しいことを続けることを強いる文化が存在している気がする(明らかに間違った努力の方向性だ)。
そんなときに、藤堂先生のように、苦しい中から救い出してくれる人がいたら。
それと同時に、私の出会った女の子のように、自分で自分自身に「根性」を課してしまう人もいる。
自分ではその道を極めたいと思っていても、努力するのも苦しくて簡単に全然できないこと。
そういうとき、「切り替える」気持ちを持つのはものすごく難しいこと。
だからこそ、新たな可能性探しの旅に一緒に出て、色んなところに連れて行ってくれる人の存在が必要。
もう一つ、テレビ番組から感じたことを記したい。
今年話題となった「PRODUCE 101 JAPAN SEASON2」だ。
デビュー枠11を争い、101人の練習生が色んな審査を通してアイドルになってゆく姿は、涙なしには見られなかった。
その中で、「ボーカルで魅せたい」と思っている子が、メインボーカル担当に選ばれなかったり、「ダンスに自信がある」という子がセンターに選ばれなかったり… それでも自分に与えられた別の役割で違う自分をお見せできれば、と切り替えて見事輝いている姿がたくさん見られ、とても印象的だった(しかも、経験者が未経験の子に「正しい方向性」を示し、導く姿には私自身も学ぶところが多かった)。
そして、そんな彼らも自分自身だけで乗り越えて切り替えていけるわけではなく、いつも共に闘いつつも支え合う最高の仲間の存在があってこそ。
結局、最終的に「結果」を勝ち取れるのは11人だけだ。
でも、本当に「結果が出た」と言えるのは11人だけなのか。
番組中、あらゆる場面で常に「切り替え」てきたこと、それを常に支えてくれる仲間がいたこと。
11人に選ばれなかった練習生たちが、皆等しく前を向いて、すぐに別の可能性を見出せたわけではないと思う。
特にこの最終結果に関しては、「切り替え」などすぐにできるはずはないと思う。
それでも、「実りがあった」と、この経験が「無駄ではなかった」と全く思えない練習生は、1人もいなかったのではないだろうか。
あのとき私のもとを去った女の子は、一度休むと言ったまま、結局戻ってこなかった。
あの子にとって、「別の可能性を一緒に見つける存在」や「常に寄り添える存在」…… そういう存在に、私は結局なれなかった。
あれから、道を見つける旅に、無事出られただろうか。
私ではない誰かが、彼女の手をとって旅のおともをしてくれているだろうか。
「努力」の結果を定義づけるのは、結局本人自身だ。
でも、周りの人の存在によって、本人にとって「報われない努力」になりそうだったものが、キラキラと輝いたものになる可能性だってある。
今でも、彼女のことを思い出さない日はない。
でも、ここで私ががっくりと肩を落としてしまったら、私自身が彼女のことを思って費やした時間が報われないものになってしまうし、彼女自身のあの努力の日々も、無かったことにしてしまう気がする。
全ての、この世のあらゆる努力が「報われない努力」にならない世界。
限りなく理想郷だ。でも、その手助けをする一員になれるよう、今日も私は仕事に行こうと思う。
そして、彼女の人生はまだ続いているのだから、今たとえまだ苦しいままでも、いつか当時の努力が彼女を支える日が来るかもしれない。
キラキラと、彼女にしかない魅力で輝く日が来るかもしれない。
そんな日を思わない日はない。