10年という歳月
10年。あっという間のようで、それは人を変容させるのに十分な期間ともいえる。
でも、いい意味で、等身大の7人は何も変わっていなかった。身を裂かれるような思い、変容せざるを得ないことたちの荒波を乗り越えてきたであろうに、10年前と変わらず飾らない笑顔で待っていてくれた7人に、まるで昨日会ったかのように迎えられたのである。
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この10年、短いようでとても長かった。
これまで、自分の進路選択において全く我慢をしてきたわけではないけれど、それでもどこか「こうするほうが全方向安心安全でうまくいくから」という思いで選んできたように思う。
私の住む地域には、学区内でいちばん難しい公立高校に行き、県内の国立大に行くのが王道のような考え方があって、中には優秀なのに自分からそれを逸れていきたい人たちもいた。
でも私は、たまたま自分の勉強したい内容の学部がその大学にあったので、ちょうどいいなと思って、特に悩まずに進路を決めた。
大学を決めていたので、高校も必然的にそこに決まった。たまたま物事の暗記が得意だったおかげで、高校も大学も、受験生の4月の時点で既に楽に手が届いていた。
A判定B判定が最初から出ているような大学は狙うな、と高校では学年集会のたびに言われたが、結局守らなかった。
そして大学を卒業すると、昔から自分に向いていると言われ続けてきた教育関係の仕事を、父から引き継いだ。
日々仕事にやりがいはあったし、適性がある感覚はあったし、自分を生かせてはいたし、家族も喜んでくれた。
そんな中で、25才を迎える年、1組の異色のグループがデビューした。
「どうしても7人でデビューしたくて、社長に直談判した」という、最高に熱くて面白いそのグループに、私はいつの間にか心を惹かれていて、そこから経験したことのない怒涛の騒がしい日常を過ごすこととなった。
それがWEST.との出会いである。
それからというもの、一人旅をそんなにしたことがなかった私は、「どうしてもWEST.に会いまくりたい」というかつて感じたことのないほどの衝動をおさえきれず、コンサート、舞台、メンバー単独の外部舞台……と、東から西までありとあらゆる現場へと飛び回るようになった。
同じコンサートであっても、一度として同じ瞬間はないので、毎回新鮮に感動し心底楽しかった。
「自分がこうあるべき」という観念を守りすぎていた私にとって、それは遅れてきた青春だった。
1年ほどそんな生活を続けていたある日、私はある感情に気づいた。「号泣するほどの感動」を、どうしても「自分の人生」に求めたくなってしまったのだ。
ただ、現場でそれを感じているだけで幸せだったはずなのに、私はその光の「こちら側」ではなくて、「向こう側」に行きたかったのだ。
何の形でなのかはわからない。
だけどたまらなく、ステージを観る側ではなく、
作る側の人生を歩みたくなってしまった。
しばらくは、気づかないふりをしようとしたけれど、その感覚は、決して自分を逃してはくれなかった。
なんの不自由もない、穏やかで安定した幸せな日々に、不満を言ってはいけないと思っていた。
でも、自分の真の思いに気づいてしまったからには、もう同じような顔をして毎日を続けることはできなかった。しかしそれと同時に、ひたひたと迫る恐怖はこう語りかけてくる。
「初めて人生の冒険をしようとしている私よ、そんな穏やかな日々に、別れを告げる覚悟はあるのか?」
でも、私はもうそれにNoを言う意志はもっていなかった。後ろを振り向く勇気はなかった。
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10年経ってWEST.は、かつてのアリーナではなく、ドームに戻ってきた。
かつての少年の影はその心に溶け込み、凛々しい青年の姿がそこにはあった。それでも、飾らない等身大の彼らの親しみやすさは、10年前と全然変わらない。
コロナ禍で思うようにライブができない中、事務所のことで私たちには言えない色んなことがあったであろう中、つらい思いばかりしてきたはずなのに。
長いこと彼らに会うことができない中、私も自分の人生の光を追い求めて、必死に歩いてきた。
そして、WEST.が私の街に来てくれたその日は、私が初めて楽曲の制作をさせてもらった舞台の公演日だった。
憧れていたステージで自分の楽曲が歌われている夢のような時間を過ごした後、数年ぶりに彼らの歌う人生に触れて、今初めて、私は心から自分の人生を愛していると思った。
25歳までの自分の人生、いわゆる「レールを外れる」勇気がなかったとも言えるのかもしれない。
でも、そういう選択をしていた頃の人生さえも今は愛している。
それは、今が幸せだからだ。
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あとから思うことがあったとしても、そのとき持てるありったけの勇気で、一生懸命歩んできた人の人生は何も間違っちゃいないということ。
7人の姿がその証拠だった。
人生を変えてくれた7人に、心からのありがとうを。