星座の起源
古代エジプトの遺跡で、星の並びを人などに見立てた図が発見されている。この星座は総称してデカンと呼ばれ、一年を360日として10日ごとの区画に割る指標として用いられていた。これが記録に残る最古の星座である。
星同士を結んで星座を作る風習がのちにメソポタミア文明に伝わり(バビロニア天文学)、ここで現在の星座の原型ができたと考えられる。ただし、エジプトとは独立して、別個に星座を作ったという可能性もある。
証拠は残っていないが、最初に決められた星座は、黄道十二星座であると考えられていて、メソポタミア文明以前から住み着いていた羊飼いによって設定されたという説がある。ヒツジ、ヤギ、ウシといった家畜がすべてこの黄道十二星座に含まれているのが間接的な証拠とされる。
これらの黄道の星座はメソポタミア文明に取り入れられ、西洋占星術の基礎となった。メソポタミアのムル・アピン粘土板(紀元前6世紀)には、黄道十二星座を含め66の星座のリストが存在し、メソポタミアの神に基づくエンリルの道、アヌの道、エアの道に大別される。これらは古代エジプトを通じて古代ギリシアに伝わり、ギリシア人たちは自分たちの神話体系にこれを取り入れるとともに、自分たちでもさらに新しい星座を設定した。
ギリシア人が設定した星座にはみな神話がついている。 古代ギリシアでの星座への言及でもっとも古いものは、紀元前9世紀のホメロスの二大叙事詩『イーリアス』『オデュッセイア』で、星座名としてはおおぐま座、オリオン座、うしかい座が登場した。
紀元前4世紀の天文学者エウドクソスは、現代につながる44星座を決定したとされるが、その著書は残っていない。
紀元前3世紀の小アジア生まれのマケドニアの詩人アラトスがこの44星座を詩にし、これが残っている。プレアデスとヒュアデスの2星団を星座にしているほかは、ほぼ現行のものが使われていた。
ソロイのアラトスは、紀元前3世紀に活躍した古代ギリシアのマケドニアで活躍した詩人で、 代表作は教訓詩『現象』(Phainomena『ファイノメナ』 )である。彼の主要な作品で現存しているのは、これだけである。この前半は星座の配置や運行を扱い、Diosemeiai(天気の予兆)という別名をもつ後半部では、実用的な天気予報その他の気象論的な話題をとりあげる。前半部はエウドクソスの、後半部はアリストテレスやテオプラストスを参照している。
現代に伝わる星座に関するギリシア神話は、ほとんどがアラトスの記述を基盤にしている。
ただし、これらの神話はアラトスの創作ではない。これ以前にギリシアで作られた美術品や、断片的に残った戯曲に関する記述などから、星座に関する著名な神話は、アラトス以前から伝わっていたことが分かっている。
『現象』は、現代に通じる星座に関するまとまった記述としては最も古いもので、科学史的に重要な書物である。
ヒッパルコスによる注釈は、ヒッパルコスのただ一つの現存する著作で、記されている星座の座標の値は科学史的に重要な資料である。特に、プトレマイオスの『アルマゲスト』の恒星表の由来に関する論争との関係で詳しく調べられた。中世前期のラテン語圏では、専門家にとっても、天文学に関する貴重な情報源だった。
現代につながる49星座の設定者は紀元前2世紀の天文学者ヒッパルコスで、アラトスのものに修正を加え、現在にすべてつながる46星座を決定した。
この後、トレミーの48星座とかみのけ座を合わせた全49星座を決定したという説もあるが、その著書は残っていない。
紀元2世紀、クラウディオス・プトレマイオスがトレミーの48星座を決定した。彼はかみのけ座を認めなかった。この48星座を決定した者はヒッパルコスだという主張もあるが、著書の残るプトレマイオスの名をとり、今でもこれらの星座は「トレミーの48星座」と呼ばれ続けている。なお、トレミーはプトレマイオスの英語読みである。これは長く標準となり、16世紀までは変更が加えられることはなかった。
ヒッパルコス(紀元前190年ごろ - 紀元前120年ごろ)は、古代ギリシアの天文学者。現代にすべてつながる46星座を決定した。 著書が現存せず、どのような説を唱えたのかははっきりしない。トレミーの48星座とかみのけ座の合わせて49星座を決定したのもヒッパルコスだと言われるが、はっきりと分かっている業績は、46星座の決定のみである。クラウディオス・プトレマイオスの『アルマゲスト』で、最も引用回数の多いのがヒッパルコスであることから、天動説を含む古代の天文学の体系を成立させたのはヒッパルコスであるという説がある。これは広く支持されているが、決定的な証明がなされていない。
ヒッパルコスは、春分点歳差(precession of the equinoxes.歳差運動の一種)を発見した。
主な業績
恒星を1等星から6等星までの6段階に分けた。これは若干形を変え、視等級として現代でも使われている。
三角法による測量を行った。
歳差による春分点移動を発見した。
メトン周期の改良。
天体観測機器のアストロラーベも発明したとみられる。
紀元前9世紀には、おおぐま座、オリオン座、うしかい座があったんですね。変身物語より、『現象』を読まないといけないけど、お手頃ではなさそうですね。
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