【フィーダシュタント】少年達の抵抗を見届ける
LDH制作のミュージカル『フィーダシュタント』を観劇した。
https://m.tribe-m.jp/Artist/index/356?m=widerstand
毎度お馴染みの韓国産のミュージカルである。
私の推しはTHE RAMPAGE from EXILE TRIBEのボーカルRIKUさん。主演としてキャスティングされている。
こんな隔離された状態の感想にまで辿り着く人は積極的に舞台の感想を求めている人達だけだろうから例によって舞台の内容は割愛…しようと思ったのだが、本作に関してはまず触れておかねばならないことがある。
『フィーダシュタント』はWW2におけるドイツを舞台としている。
件の戦争は元より当時のドイツにおけるホロコーストについてもテーマになっている。
何よりもかの独裁者が舞台にいる。舞台上にはハーケンクロイツも靡かないし彼自身がキャストの身を借りて登場するわけでもない。だがしかし確かに彼は舞台上に"いる"のだ。
これから観劇するかを迷う人はこれらを念頭に置いていただきたい。
また、ミュージカル・エンタメというフィルタを通してこのテーマを語ることがとても難しく、生半な知識で突っ込んだことを語れる訳でもないので少々ぼかした言葉が増えることをご了承いただきたい。あえて触れないこともあるかと。
清々しくもグロテスクで残酷な舞台『フィーダシュタント』の感想をあくまでもミュージカル・エンタメとして自分なりに述べていこうと思う。
ちなみに大いにネタバレしていくのでその点も注意していただきたい。
フィーダシュタントはスルメ
私は現時点でこのミュージカルを3回観劇している。
初日公演を観て、実はそこまでの満足感を得てはいなかった。誤解のない様に言うが初日の段階で非常にクォリティの高い舞台だった。しかし同じく韓国ミュージカルの『天使について』を初めて観た時の頭を殴られたような衝撃は無かった。それなのに、初日公演の補完のような気持ちで観た2回目の舞台が面白すぎて混乱した。
この舞台、観る側の理解度で大きく評価を変える危険な舞台だな…?観劇しながら驚きと喜びを味わった。
この舞台に関して「イマイチだった」と評する人に会ったとしたらまず「何回観ました?」と尋ねてしまうと思う。2回以上観ていたとしたら「それは仕方ないですね…」と引き下がるだろう。合う合わないはある舞台だ。しかしそれが1回だけだとしたらもうもう最高にウザく「もう1回だけ観てください!!!」と追い縋ることだろう。2回目からが良いんだ……2回目からが……。
『天使について』はストーリーを深掘りする舞台だった。あの時何が起きてた?過去に何が起きてた?「こうだったかも知れないな」を楽しむような、そんな舞台。
『フィーダシュタント』は感情を深掘りする舞台のように感じる。キャスト6人全ての感情を掘り込むには2回は観る必要がある。1回観て全景を知った上でこのシーンのこの役は裏でこんな表情をしていたんだなと知り、感情や思い、関係性を深掘りすることができる。
その最たる例がフレドリッヒではないか。
フレドリッヒはクレアの直属としてフェンシングチームを高圧的に仕切る嫌なヤツとして登場した。
彼を差し置いてクレアのオキニとなったマグナス。フレドリッヒが2人に向ける視線は、最初に観た時は嫉妬と私は受け取っていた。だが2回目の観劇からその認識はがらっと変化する。憐れみ?警戒?あいつも僕の様になるのだ。騙されて馬鹿なやつ。そんな言葉が聞こえるよう。
2回目でキャストの表情の差を見るなんてどんな舞台でも当然でしょと思うだろう。違うんだって〜〜!フィーダシュタントは何かが違うの。上手く言い表せないけれど……。
何かが違うから一緒にスルメを噛んでくれない?そうとしか言えないのだ。
……余談だが、この感想を書いている最中の3月21日ソワレ公演で我らが座長が「複数回見ることで舞台は面白くなるとよく聞くが1回で面白いと感じさせたい」(うろ覚え)というようなことを言われてて、非常に申し訳ない気持ちになったのだった。RIKUさんエゴサした?
でもこれフィーダシュタントに限っては面白さの意味合いが全く違うので許して欲しい。あくまで上乗せドンの部分の話をしています。
マグナスとアベル
物語の大筋の2人。
マグナスはRIKUさんのイメージそのもの。おおらか、無謀、明るくて一直線。強そうに見えてちょっと弱い。
こんなキャラが闇に落ちたらヤバいに決まってるでしょ。
このマグナスの基本の性格はRIKUさんにとっては"いつものやつ"なのだ。『ETERNAL』シリーズのレンブラントや、直近では朗読劇『僕らは人生で一回だけ魔法を使える』のアキト。その"いつものやつ"が全然"いつものやつ"ではなかった。
最初の授業でフレドリッヒに負け、思わず手を上げようとするマグナス。幼い頃から手合わせをして来たアベルに負けても絶対にそんなことはしなかったと確信できる。そんなマグナスが衝動的に手を振り上げた。マグナスが序列を意識し、勝ち上がる野心が芽生えたのはこの瞬間なのだろう。
その小さな火種が、フレドリッヒに踏みつけられ煽られたことで燃え上り、その炎を"光"としてクレアに見つけられることとなる。
アベル役の糸川さんのお芝居は本当に繊細だった。彼の表情や視線を追うだけでアベルが主演のフィーダシュタントが完成してしまう。
アベルにとってマグナスは無二の親友でヒーロー。ヒーローが落ちていく様を側で見続ける苦悩が痛いほど伝わるお芝居だった。
入学当初、疑問を抱えて常に視線を揺らしていたアベルは、賛同してくれる仲間を得てやるべきことを真っ直ぐに見据える瞳に変化した。対してマグナスは蝙蝠のような己の立場と焚き付けられた野心とで、かつて真っ直ぐだった視線を揺らすようになる。その揺れる心情を引きずったまま「フィーダシュタント」と「ドイツの為」の歌唱で完全に道が分たれた一幕のラストは本当に残酷。酷い演出で本当に最高。
アベルがユダヤ人であるということは物語の序盤には想像ができることだろう。
ユダヤ人やジプシーを振り落とし、見目麗しく優れているとされるアーリア人を選別する為の入学試験をアベルは通過する。更にはアベルの頭骨が優れたアーリア人のものであるとクレア自身が断言する皮肉まで。
体を形作るものだけで何が判断出来るのかという強いメッセージ。
ところでRIKUさんはこの舞台に向けて厳しい減量をしていた。17歳の学生なんだから筋肉を落とさないとというようなことを言っていた。ファンの身からしたら断食までする辛い減量なんてして欲しくないし、いくらほっそりとした舞台俳優さん達と並ぶにしてもそこまでする必要は無くない?と私は思っていた。幸せにご飯を食べて元気に筋トレをしている推しの方が好きなので。でもこの舞台を観て、RIKUさんは糸川さんと親友として並ぶ為に減量したんだなと確信してしまった。都合の良いファンの妄想だろうか。妄想ついでに言えば筋肉等の身体的優位性の無い、人種も何も無いのだという説得力を持たせる状態で並ぶことに意味があったのではないかなと…流石にそれは勝手な妄想が過ぎるか。推しフィルタが分厚くて申し訳ない。
あんなに必死に減量してもやっぱり体の厚みの差は凄かったけど、それでも私には彼らが何の線引きも無い古くからの幼馴染として生きているように見えたのだ。
その2人を見ていた分二幕はあまりにも残酷だった。
笑顔が消えたマグナスは級友達を厳しく冷たく指導する側に回る。
ハーゲンに対する厳しい仕打ち。とても見ていられないいたたまれなさ。まだマグナスにも葛藤が残っているので尚更である。そしてそのままアベルとの決別の戦いが始まる。お互い折り重なるように歌唱を重ね、叩きつけるように剣を重ね、ひたすらに想いをぶつけ合う2人。分かり合えない現実を叩きつけられ、次第に怒りよりも絶望へと眼差しが変わっていくアベル。対して更に怒りのボルテージを上げていくマグナス。力でアベルを圧倒したマグナスは2人を繋ぎ止めるアベルのハンカチを投げ返し、戦いの決着とする。完全なる決別だ。
このシーンの楽曲、歌唱、殺陣、表情の全てが素晴らしく、痛いほどに胸に突き刺さる。
痛くて痛くて、私は泣きながら……滅茶苦茶に興奮していた。
誤解しないで欲しい。いわゆる変態的なアレではなく、推しの芝居が私を興奮させているのである。
前述の通り、RIKUさんにとってマグナスは"いつものやつ"のはずだった。しかしそれが誤解だと気付かせてくれたのがこのシーンなのである。権力に溺れ、階級に従い、優遇された人間が見せる、思い通りにならないものに対する身勝手な怒り。そういった姿を初めて見たのだ。
『天使について』のルカの台詞を思い出した。
まさか別の作品でこの状態の推しが見られるとは思っていなかった。凄く怖い…良い…顔怖い…歌い方怖い…めっちゃ良い………。語彙も飛び散る。
マグナスが強さと権力を求めたのは確かにアベルの為だったのだ。いつしかそこに何かが混ざってしまった。その混ざったものがクレアが育てた小さな"光"なのかも知れない。
フェンシングチーム
マグナスとアベルについて語っているとどうやってもストーリーも巻き込む形になってしまう。
他のキャラクターとそのキャストについても軽く触れさせて欲しい
ハーゲン
ハーゲンは推しです。推しになりました。
吉高さんのお芝居と歌唱が素晴らしい。
ハーゲンという役は非常に匙加減の難しい役だと思う。嫌味過ぎず、良い人過ぎず、笑いに振り切り過ぎず。そのバランスがとても良い。この方の他の舞台も観たくなる、そんなお芝居だった。
彼がメインとなるどぎついナンバーの、明らかに劇中でも目玉になりそうなキャッチーなメロディにフェンシングチームの可愛らしいステップ。しかしその歌詞が本当にどぎつい。殺戮を目前にしない者が謎の自信と余裕に満ちて吐き出す言葉。これは現代におけるネット上のイキリ発言そのものだ。ある意味とても重要な役割のハーゲン。最高にグロテスクな歌をありがとう。
ジャスパー
うちの、THE RAMPAGEの浦川翔平くんです。ボーカルじゃないんです。とんでもないでしょう?翔平くんの舞台経験は『ETERNAL Ⅱ』の1作だけ。ミュージカルは今作が初挑戦である。本人にぴったりの役柄で恵まれたデビューとなったのではないだろうか。楽譜すら読めない状態から一生懸命努力していたのも伝わっていたので、彼のお芝居と歌がちゃんと受け入れらていることが本当に嬉しい。
ジャスパーは今作の救いの様な存在。何があっても変わらない、芯を持ち明るいままの稀有な役回りだ。きっとたくさんの観客の心を癒やしてくれたことだろう。
フレドリッヒ
フレドリッヒについてはもう舞台を観てとしか言えない。舞台を観てくれ。そこに彼の全てがある。正木さんのフレドリッヒは初見では何を考えているのかわからない。クレアの授業で「冷た過ぎる」と歌われるもののその中身は実はかなり熱い。冷血なのか激情家なのか掴み難い、独特のバランスで成り立っているのが素晴らしい。もうとにかく…舞台を観て…。絶対落ちる。
クレア
推しです。こちらも推し。
クレアだけは本当に掴めない。美しく、恐ろしく、謎ばかり。そこが良い。
初日の観劇ではクレアはマグナスを新しい玩具にするつもりなのだと私は考えていた。光を失ったフレドリッヒの代わりになる、光を抱えたクレア好みの少年。更に自分の好みにコントロールするのがクレアのやり方なのだろうと。
しかし2回目の観劇からこちらも印象が変わって来た。
フェンシングの授業で「冷た過ぎる 熱過ぎる」と歌い上げる威厳を持ちつつも優しい声。合唱ではジャスパーの歌を評価したのか彼を壇上に上げリードさせる。心なしか楽しげにタクトを振る様子が彼の本質を窺わせる。そして何よりクレアはフェンシングの指導の際、手合わせ以外で剣を強く振ることは決してしない。
クレアは国の為に将来兵士となる少年達を育成する身だが、マグナスに対しては本当にそれだけの目的で接していたのか?心の底ではかつての自分の様に輝かしい選手としてマグナスを育てたかったのではないか。藤田さんのお芝居はそんな可能性を滲ませるお芝居だ。
勿論クレアの中に差別意識はしっかりとある。自分が手を下さず生徒同士で処罰を与えさせる典型的な洗脳手段。ユダヤ人であるアベルは彼にとってははなから人では無いので、容赦も全くしなかった。彼は才能ある者、光ある者のみを愛しているのだろう。
抵抗の果て
力による解決を決意したマグナスの剣は結局総統に届かず、銃弾に倒れたマグナスに駆け寄ったフェンシングチーム全員でペンによる抵抗を選び幕は降りる。
このラストまでの流れが凄まじく、第二幕は体感5分である。とにかく演出が素晴らしい。複数の回想シーンを経ても全く流れが途切れずスムーズにストーリーが進行する。楽曲も素晴らしい。
力による解決を望まずペンによる解決を望んだアベルの遺志に土壇場で従うことになるのだが、そのアベルの願いと繋がる瞬間のナンバーが痛いほどに胸に刺さって滝のように涙が溢れてくるのだ。ただ純粋にフェンシングを愛していたあの頃。愛したフェンシングを殺害の手段に使おうとする悲しみ。そしてアベルの想い。それらがもう一気に流れ込んで来て大変なことになる。これを書きながら思い出し泣きをするほどだ。
少年達の輝かしい抵抗と共に、悲しくも清々しく幕は降りるのだが…その後の皆のことを考えるとまた泣けて来る。どう考えても全員処刑なのだ。この事態の責任を取らされ、クレアも処罰を受けるだろう。そして戦争も差別もまだまだ続く。
本当に、美しくも残酷な舞台である。
このミュージカルを単純に若手俳優やミュージシャンの出るエンタメとして軽く人に薦めることは憚られる。テーマも人を選ぶだろう。でもなんとかしてたくさんの人に観てもらいたいのだ、今の時代に。少なくとも私の胸には深く突き刺さる作品となった。
とても良い作品をありがとう。
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