【フィーダシュタント②】掘り続けるんだよ、ドイツまで
掘ってますか、フィーダシュタント。
全公演を終え、しっかりとロスになりつつも掘削の手を止められない、そんな人間の感想文その②である。
ちまちまと纏めている間に公演どころか配信販売期間も終わってしまったので記憶が薄れる前に吐き出しつつ考えを整理していかないと。今回はそんなメモ的な感想のつもりで書いていく。
人の狂った思考を順序立てて追いたい人は1つ前のこちらの記事から読んでいただきたい。
もし既に上記の記事を読まれてなお私の感想その②に目を通そうとしてくださるお方がいるのならとても嬉しい。こんな隔離された文章を立て続けに見つけてくださってありがとうございます。私と同じく狂ってらっしゃるということですよね?
それではさくさくと進めて行こう、なんかこう、闇雲に掘る作業を。
楽曲に関して
楽曲…良すぎましたね…。
実を言うと初日の観劇ではピンと来てなかった。今思えば耳が悪いのか?(ダ・ヴィンチ)って感じなのだが。
特別好きな曲は決別ソングと権力ソングとカラビーナくらいかな〜、などと思っていた。馬鹿か全曲良いわ。
2回目の観劇からストーリーに引き込まれ、楽曲の素晴らしさにもやっと気付けた。これは何なのだろうなあ。フィーダシュタントの2回目って一体どんな鍵になってるんだろう。
そんな楽曲達について思いついたことを書いていこうと思う。私の推しRIKUさんの絡む楽曲中心ではあるが。
楽曲名に関してはアフト等で明言されたタイトル以外はぼんやりイメージで述べさせていただく。
私の最推し曲はファーストインプレッションのまま決別ソングと権力ソングである。わかり易くテンションの上がるナンバーが好きだ。
まず権力ソングの何が好きかってフレドリッヒとマグナスの対比。フレドリッヒの「権力〜♪」が下がり調子なのに対しマグナスの「権力〜♪」は上がり調子なのがとても良い。
フレドリッヒの刺々しい歌唱とは裏腹に、停滞する現状への彼の諦めがこの下がり調子にひっそりと表現されているように感じる。対してマグナスのクライム感よ。後述する権力ソングもなのだが、マグナスの力に対する思いの高まりは基本高音に凝縮されている。そこにRIKUさんの歌唱力がドン。好きに決まってるでしょこんなの…しかも拳銃まで持ってるんだぞオーバーキルだ。
マグナスの権力ソングにはフレドリッヒとは違い「フィーダシュタント」のコーラスが入っている。コーラスはアベル、そしてステージにはいないハーゲンとジャスパーだ。ステージにいないキャストのコーラスは他の舞台でもよくあることだが、ことこの舞台に関してはコーラスにまで全て意味があると私は信じている。単なる対立表現としてのコーラスではなく、あの嫌なヤツ全開の状態でも仲間の声に背を向けることに対する葛藤がマグナスにはまだ残っているという表現ではないかと思う。あの一幕ラストと同じように。
決別ソングに関しては涙と興奮の欲張りセットなので嫌いなわけないって言うか好きじゃない人いないでしょこれは。シチュエーションと旋律と演出が完璧過ぎて毎公演頭がおかしくなっていたナンバーだ。この曲に差し掛かる口論が始まる度に「来た…」と姿勢を正しハンカチの準備をしていた。もう既に懐かしい。
アベルの剣を蹴り飛ばしたり、「いらねえっつったろ」とハンカチを投げ返したり、「お願いだからもうそれ以上エスカレートしないで…」と胸を痛めていたのも含めて懐かしい。配信でやっと観られた千穐楽では初期のお芝居に戻っていて本当に良かった。ラスト公演故にセーブする必要無く思い切り叫んで〆る歌唱も素晴らしかった。クライム状態のマグナスの怖さが画面越しにも伝わる歌唱だったと思う。いや最高過ぎた…千穐楽の決別ソング…。
アベルと同じ目線であのマグナスの怖さを浴びることで、観客はアベル寄りの思考とポジションにシフトすることになる。演出が上手い〜。
フェンシングとの出会いソングはラストにも滝のように泣かせてくれる本当に特別なナンバー。
でも地下室で皆が「息子に」「人間に」「自分に」なれたと朗らかに歌う中、アベルだけは笑顔で合わせているだけだった。マグナスに大切な思い出は貰えたけれど、決して何者にもなれなかったアベル。切ない……。それでもその思い出が「生きている」ことだけは感じさせてくれたというラストまで切ない……。
あとはカラビーナとドイツの青年は振り付けも込みで好き。上げたらキリがないくらい本当に全曲良いんだよなぁー。全員歌が上手いし。
でもRIKUさん推しとしては僕の光には触れておかないと。
僕の光は他とは少し毛色が違うデュエットだ。デュエットは他にも複数あるが、この楽曲だけ妙にディズニーの気配がする。希望と輝かしい未来を感じさせる、まるでラブソングのような旋律と歌詞。プリンスのクレアはプリンセスのマグナスをひたすら口説く。美しい歌で美しい光を見せ、もっと美しい外の世界を見に行こうとひたすらに口説き、遂に落とす。クレアは稲妻という名の魔法の絨毯にマグナスを乗せて連れ去ってしまった。もう私の中ではこの楽曲はホールニューワールドでしかないのだ。ホールニューワールドのイメージを返して欲しい。いや本当にありがとう。
そういう幻想は抜きにしても、私はRIKUさんにディズニーソングを歌って欲しい人間なのでここで夢が叶うニアピン賞といった感じなのである。RIKUさんにはディズニーソングが似合う。まあプリンス側を想定していたのでまさかプリンセスになってしまうとは思っていなかったのだがプリンセスにもなれてしまうのだ、そう、RIKUさんなら。幼女にだってなったことがあるものな。
登場人物の関係性
ここら辺も好きに掘ろう。前回の感想で纏めきれなかったものを纏めきれないままに。
マグナスとアベル
マグナスとアベルがいつからずれてしまったのか、最初からなのか、結局私もはっきりとはわからなかった…。
マグナスは一貫してフェンシングがしたいだけの子供だということはわかる。「何故僕らはここに来た?(フェンシングをしに来たんだろう?)」ということなのだろう。確かにマグナスの原動力だけはずっと変わっていないのだ。
フェンシングを学んで、強くなれば上に立てる。そうすれば自分の手の届く範囲の友人だけは守ることは出来ると、自分にもメリットのある一石二鳥の手段にも感じたのかもしれない。今の時代であれば内部から組織を変えるのも手段の1つであるのは確かだが、この時代ではいずれ完全に洗脳されていただろうし実現は難しかっただろうが。
大きく変わったのはむしろアベルの方だろう。
強い想いに突き動かされ、過去の自分と決別し正しくあろうするアベル。マグナスはアベルの成長の早さに着いてはいけなかった。
聡明なアベルが見落としたのは、マグナスにとってアベルが人質だったのと同じくアベルにとってもマグナスは人質だったということ。抵抗の代償は自分の身1つで済むものではなかったということだけ。
恐らくクレアから真綿で首を絞められるようにアベルについてつつかれていたであろうマグナスはそれに気付いていたのに、アベルはマグナスの言葉には耳を貸せなかった。まあそうさせたのはクレアによるマグナスへの洗脳と恐怖の植え付けのせいなのだが……。
結局どうなんだろうね?2人が最初からずれてたなんて絶対思いたくないな。
フレドリッヒとライナー
この2人の関係性は恋人で合っているのか?
ライナーが抵抗をした理由は迫害の対象の1つ、同性愛者だったから?「僕ら他とは違うようだ」のフレーズを最初に耳にした時は問題提起をする心、間違いを否定出来る心が他とは違うと言っているのかと思ったが、フレドリッヒの回想を通してそれだけでは収まらない愛情の流れをすぐに感じた。
まあ2人の間にあるものが友愛だろうと恋愛だろうとそれは些細な差だ。どちらも同じく深い愛情なのだから。
マグナスとフレドリッヒ
鏡合わせの2人。お互いのifの姿。
自我を捨て、ライナーの遺した言葉の通り何も知らないふりをして過ごして来たフレドリッヒ。
アベルの生きた証を残す為に抵抗することを選んだマグナス。
2人の違いは精神の成熟性のみではないか。フレドリッヒは精神年齢的にも他の学生達よりも上の人物だ。(想像ではあるが想い合う恋を知っていることも関係していると思う)彼は世の中の理と恐ろしさを既に感じ取って来た上でライナーを失った。
対してマグナスの幼いこと。マグナスの世界はとても狭い。アベル以外に失って怖いものも無かったのだろう。家族ですらも。
志を同じくする友を得て、最終的に2人の道も結末も合流することになってしまうが…。ただ、ラストシーンのフレドリッヒはやるべきことを成しライナーの元にやっと行ける安堵すら感じさせる表情をしていたが、マグナスは最後まで総統を見つめ続けていた。総統を殺すという目標を達成できなかった無念から?それとも…フレドリッヒとも違う2人目の自分のifの姿、鏡合わせの相手を光の中に見ていたのか。
しかし若さ…若さかぁ…。命を投げ打つことが勇気なのか?という疑問はあの時代には通用しないのだろう。辛い。
纏められずとも吐き出さねばと思った点はこれくらいだろうか。他は前回の感想でちゃんと吐き出せている気はする。
しかし本当に掘れば掘るほどこちらの胸を抉ってくる作品だ、フィーダシュタントは。
私をこんなボコボコにした責任は取って欲しい。そう、なんか丸くて薄くて虹色に光ったキラキラのやつで埋めてくれ。
フィーダシュタントのBlu-ray 豪華特装版の発売、心よりお待ちしております。
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