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あだ名を禁止すると子供は育たない【教員】

「あだ名禁止」「さん付け奨励」という小学校の方針が、今になって物議をかもしています。

あだ名禁止の理由は、「人から呼ばれて嫌なあだ名を封じ、嫌な思いをする生徒を出さない」ためです。

あだ名を禁止すれば、心ないあだ名をきっかけにしたトラブルはなくなります。トラブル処理に時間がかかるということもあって(ただでさえ教員は超過勤務)、学校が禁止と掲げる方針には痛いほど理解できます。

”さん付け奨励”の理由は「より平等になり、性的マイノリティーの人々への配慮になる」ためです。

「〇〇くん、〇〇ちゃん」の呼び方は、その人を”下に見ている”というニュアンスになってしまうのかもしれません。

性の多様性が提唱されている今、「くん」と呼ばれたくない男子に「くん」と言ってしまうと、その生徒はかわいそうです。

現在私は中1を担当している教員ですが、男子生徒も女子生徒も、クラスメイトのことを ”さん付け” で呼んでいる生徒が多いです。

また小学校の先生の指導の賜物なのか、授業中など公の場(public)では「さん付け」、休み時間など(private)では「あだ名」で呼んでいる生徒もちらほらいます。生徒もうまく使い分けているようです。

■「自分の思い=相手が受け取る思い」ではない。

あだ名を全面的に禁止してしまうと、「あだ名をきっかけとしたトラブル」が生まれず、指導の機会がなくなります。

「人が嫌がることは言わない」なんてことは、子供は既に知っているのですが、「自分の言った思いと、相手の受け取る思いに違いがあること」ということを知らない生徒は多いです。

例えば・・・

名前が” ゆり ”である女子生徒が、友達から「ゆりあん」と呼ばれた。
友達は、フランクで呼びやすいあだ名であり、距離を縮めたいという思いだったが、当のゆりさんは「芸人にも同じ人がいるし、”ゆりあん”とは呼ばれたくない」という思いがあった。
例えばの事例

あだ名でのトラブルは、「自分の言った思いと、相手の受け取る思いに違いがあること」に身をもって気付くチャンスなのです。

■学校は摩擦が起きる場所

学校は、人との距離感をつかむ場所であるため、摩擦が起きて当然です。

摩擦を経験しながら、人との距離の取り方を理論だけでなく、肌で感じて、時には失敗して、学んでいくのです。

「伝えたことと、伝わったことに違いが生じるかも」という思考を 子供が大人になるまでに獲得すべきだと思っています。

そういう意味では、不毛だと感じていた 文字コミュニケーションで起きるトラブルも、子供の成長の糧となっていたのかも知れません。

自分の伝えた言葉が、どのように「伝わるか」という受け止め側への配慮ができれば、対人トラブルは減ります。

傷つく人が生まれてしまうトラブルを良しとはしません。

寂しいことです。

しかし、「どうしてトラブルになったか」の反省する機会がない方が、もっと寂しいことなのかもしれません。


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