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消えていく記憶

人生で一番古い記憶が何かと聞かれたら、
3歳の保育園に入園する1週間くらい前の日の記憶だ。

3月下旬、暖かくなってきて、近くの川の土手には、つくしが生えてきていた。
毎年、祖母は歩いて土手につくしを採りに行っていたようで、
一緒に行こうと連れて行ってもらったのが、私の一番古い記憶だ。

祖母のことは、好きではない。

ただ、嫌いとは、できれば言いたくない気持ちもあった。

母がずっと仕事をしていて家にいなかったので、私はほとんどの時間を祖母と過ごした。
お昼ご飯はいつも、キャベツの卵とじだった。
毎日同じキャベツの卵とじを食べた。

祖母の教育方針には、今の時代では信じられないくらい厳しい躾がたくさんあったが、今となっては助かっている部分もある。

ご飯を食べる時は黙ってしっかり噛んで食べましょう
右手にお箸、左手にはお茶碗を持つこと
座るときは足を開いてはいけません
お客さんが来た時は静かにすること
帰ってきたらすぐ手を洗うこと
靴は脱いだら揃えること
人の目をみて話を聞くこと
洗濯物は必ずタンスにしまうこと
埃を溜めないこと

こんなのはごく一部で、いちいち細かい決まりの中で生活をしていた。
ただそれも、ずっとそうしていると慣れてくるものだし、
だんだんそういう考えになっていく自分にも気づいていた。

この考えの祖母と、母は、全く逆の考え方だったので、本当に合わなかった。

母がいない時間、私の面倒を見ながら、
「あんたのお母さんは、〇〇だから」
と、祖母は母の愚痴を私に言っていた。
最初は、なんて酷いことを言っているのだろうと思ったけれど、
そんな祖母との時間が長くなるにつれ、
祖母の言うことも納得できるようになっていった。
そして、母の行動に納得できないことも増えていった。

一方で、祖母の母へのいじめは日毎にエスカレートしていき、
親族に嘘の情報を流したり、
母のご飯が本当はあるのに、ないと言ったり、
母が祖母を想って用意したプレゼントや食事をいらないと拒否したり、
夜遅くに帰宅した父と母の会話を、部屋の外から盗み聞きしていたこともあった。まさに壁に耳ありだった。
(ちなみにこの時、私も同じく盗み聞きをしていたため、祖母と鉢合わせをしてしまった。祖母に育てられた結果、同じことをしてるなと思った。笑)

小学生の時、夏休みにテレビで観た昼ドラのようなドロドロした関係が、
昼ドラではなく、自分の家で繰り広げられていて、
私も見事にその物語のキャストになっていて、
いったい私はどんな世界で生きているのだろうと思った。

そんな祖母のことを到底好きにはなれず、
一方で祖母の言いたいことも納得できる部分があり、
私はいつも複雑な気持ちで、祖母が亡くなるまで過ごした。

だから、正直なところ、祖母が亡くなった時はホッとした。
これで楽になると思った。
母も、これでもう、いじめられなくなると思った。

そして、私は絶対に、祖母のような人間にはなりたくないと誓った。
家にいて、ずっと文句ばかり言っているような人にはならないよう、
なるべく外に出かけるような生活、
外の社会とつながり続けられる仕事をしていこうと思った。

22歳の時、会社のストレスで体調を崩し、心身症と診断され、しばらく精神カウンセリングに通った。
その時は、祖母の話をたくさんしていたような記憶がある。

なのに。
今、こうして祖母のことを思い出し、記していこうとすると、記憶があまり出てこない。

あんなに悲しくて、苦しいくて、世界がぶっ壊れたらいい、みんな死ねばいいと思いながら過ごしていた気持ちだけは、しっかり覚えているのに、
何があったのか、だんだん思い出せなくなっている。

歳をとったのかなぁ。
祖母に言われてきたことを、それぞれ経験していって、
自分なりの答えを見つけられているような気がする。

もしそうであれば、これからも一つずつ、記憶は消えていくだろう。

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