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母に甘えた最後の日
保育園を卒園して、小学校に入学するまでの春休みのある日、
母は急に「映画を観に行こう」と言って、私を車に乗せた。
それまでずっと、母は昼間仕事をしていたので、私は祖母と一緒にいる時間がほとんどだった。
おばあちゃんと離れて、お母さんと二人で出かけるなんて、病院の通院以外では初めてだった。
急にどうしたんだろう?と不安になったが、
なんだかこれが、最初で最後になるような気がして、ついて行くことにした。
映画の鑑賞券をもらったような、そんな記憶もあるけれど、
出かける前に母が新聞を開いて、上映時刻を確認していたのは記憶に残っている。
車の中での母はとても楽しそうだった。
普段できていない「親子水入らずでお出かけ」っていうのをできているという実感があったのだろう、
私にはそう見えた。
私はというと、嬉しさ半分、不安半分だった。
嬉しいのは言うまでもなく、普段一緒にいられなかった母と二人だけで出かけるなんて、夢のようだったから。
しかし半分は、不安というか、覚悟の思いだった。
何の映画を観たのか、はっきりとした記憶はないけれど、動物が喋っていたような…大人と子供が一緒に観られるような映画だった気がする。
映画が終わり、近くのデパートでご飯かケーキを食べたような気もする。
そしてそのまま、母と手を繋ぎ、私が大好きだった文房具屋さんに行った。
母が「欲しいものがあれば買ってあげるよ」と言うので、すっごく嬉しかったが、同時にやっぱり不安だった。
大好きな文房具を見ていると、猫ちゃんのかわいいノートを発見。
これいいなぁと思いながら、値札を見たら¥300くらいだった。
ノート1冊が¥300…
貧乏なうちには高すぎるので、私は見なかったことにして、そっと棚に戻した。
すると母が
「それが欲しいの?買ってあげるよ」と。
とてもとても嬉しかったのだが、それがとても怖かった。
先のnoteにも書いているが、『離婚するする詐欺』をしていた時期でもあり、
もし私が父について行ったら、母ともお別れだと思っていたので、
もしかしてお別れ前にお出かけするのかな?とも思ったし、
逆に母についていく(というか連れていかれる)としたら、
このまま一緒にあの家から逃げるのかな?とも思った。
もし、離婚でなかったとしても、
私が今6歳、
弟妹たちがこれから大きくなってくると、私に手を掛ける暇はなくなるだろう、
きっと、今日は、お母さんを独り占めできる最後の日なんだ。
今日が最後なんだ。
もう、これから、大人になるんだ。
そう思っていた。
覚悟をしていた。
実際その通りで、この後、弟妹たちに手が掛かったし、祖母がガンになったので、祖母の世話もしていた。
母は私を見る時間が少なくなり、やっぱり私は、祖母と一緒の時間が多かった。
だから、進路のこと以外で、私が母にわがままを言った記憶はない。
この時に買ってもらったノートは、当然使うことはできず、
ずっとずっと宝物として保管してある。
実家を出たときに、
思い出の卒業アルバムだとか、大事な、絶対に捨てないで欲しいものをまとめた「永久保存箱」を1つだけ残して出たのだが、
猫ちゃんのノートは、この永久保存箱に入れてある。
何度か、東京に持ってこようかとも思ったが、
見ると、あの時の複雑な気持ちが思い出され、
大人になった私は冷静に、
普通の子供の感覚でお出かけしたかったな、と悲しくなってしまうので、
「永久保存箱」に入れておくので正解だった思う。
いつか、“どこかのタイミング“で、
この猫ちゃんのノートを開くことがあるだろう。
その時は、今とは違う感覚であって欲しいと願うと同時に、
その、“どこかのタイミング“とは、それなりの時なんだろうと覚悟している。
そして、いつか私が亡くなった時には、この猫ちゃんのノートを棺桶に入れてもらいたい。
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