「可愛く」生きていく


わたしは何歳になっても「可愛く」いたい



「可愛い」というのは私にとっての盾、武装だ。


「可愛いと自分で納得出来る自分」で居れば、上司にいつの時代?みたいな発言を悪びれず投げられても、満員電車でぎゅうぎゅうに押し潰されても、

「まあでも今日も私、可愛いし」

と思える。


私は特段顔が整っている訳ではない。
この「私、可愛い」はそういう意味合いではなく
髪型、アイシャドウ、リップ、爪先、下着、靴下
全てでも何かひとつでもいい。
自分が思う「可愛い」を貫いている、ということである。


大人になった今、可愛くいることは求められない。
賢く、強く、世間にとっての正しい大人でいることが求められる。
寧ろ可愛くいようとすると、子供じみている、ぶりっこ、良い歳して、などと悪評を得る事すらある。


でも私は決して子供で居たい訳ではない。

私にとって自分の「可愛い」を貫くことは、幼くいることではなく、その時の自分の感覚を、自分そのものを大切にすることとほぼ等しい。 
だからいつだって、自分が可愛いと思う対象を、そんな自分を、愛でて大切に出来る大人で在りたい。


たまに心も身体もへとへとな時は「こんなに疲れていても頑張ってる私、可愛い!えらい!」と自分を励ましながら、今日も私は、可愛く、そしてちょっぴり強く、背筋を伸ばして生きていく。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?