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事務っていいかも

(時間ないから、寝る前に今日思ったことを殴り書いたりゅ🥹)
ここ半年間ずっと苦しかった。自分は社会人になったら、会社の歯車としてバリバリ働くんだと心に決めていた。(ドMなんで。)詰め込み教育をされて、前に前に成長していきたいと思ってた。どんなに辛くても、バリバリ働いて、自立してる人はかっこいいから。 でも現実は違った。

自分1人だけ「事務」だった。学生時代までは、楽そうだから事務になれることが嬉しかったのに。
技術職、営業職を前にすると自分ってコミュ力も技術も何もスキルない無価値の人間なのだなと思って悲しくなる事が何回もあった。ただひたすら、誰かのサポートを行う毎日。いや全ての仕事は、誰かの為に行ってるんだけど、事務は仕事を頑張っている人の後ろを一歩下がって応援するみたいな感じ。私って居る意味ある?誰かの影に隠れたままなの?と、ここ最近毎晩泣いていた。

しかし3日前から(回復は早いようだ…)、なんとか心を保てて働けるようになった。まだ辛いけど。私は、成長から降りて楽になった。勿論、仕事を放棄するとかではない。競争を煽るような子どもじみた成長願望から降りることにした。第一線でバリバリ働く事ができるのも、陰でひっそり成長を支えてくれる大人がいるから。私の中の大人というのはただ単に歳を重ねた人の意味ではなく、誰かの成長を後押しできるほど成熟した人間を意味する。なんか誰かのやりたかった仕事を支えるのっていいかもしれない。スキルを上げて給料アップするのもいいけど、同僚をエンパワメント(勇気づけ)できるほどの余裕がある人間になった方が素敵だなと思った。

なので、今日会社でちょっと、「大人」になる事を試してみた。いつもはない優しさを持って接してみた。(ガチで嫌だったけど)そしたら、人の事を客観的に見れるようになった。あ、この人本当は自分の仕事にだけ集中したいのになんとか心を殺して後輩に教えてるんだな、この人は、会話に入って注目されたいんだなとか。(最悪な分析やないか…)なんか、みんな子どもみたいで可愛く思えた。私はまだ新人だけど、この組織の新陳代謝を促すような動きができないだろうか。

帰り道、次の後輩が入ってくるまでには、この余裕のない殺伐とした小さな社会を私が変えたい。心理的安全性を生み出したいと私にしては優しい考えを持ちながら歩いた。優しさで変えられるかな世界。優しくできるのは強いからなのかもねー。

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