【300字小説】川の向こう
お題「待ち伏せ」
ぶくぶく、泡が、口から出ていく。沈む、沈む、沈む――。
ずっと下の方から声が聞こえる。聞き慣れた、愛を伴った、あの声。私を呼んでいる。
「待ってたよ」沈みきった先、いつの間にか川の前に立っていた。「君が遅いから、先に渡っちゃった」
川の向こうでほほえむ彼は、大きく手を振っている。早くおいでよ。私は手を伸ばして、けど、そちらへ行く勇気が出ない。おいでってば、声に怒りを帯びる。
ぶはぁっと息を吸う。びちゃびちゃに濡れたシャツや髪がはりつく。苦しい、痛い、冷たい、死んでしまう。
「大丈夫!? こんな夜に海なんて!」
目の前で私の身を案じる彼は、川の向こうにいた男と同じ顔。けど、違う。この人は本物、本物の私の恋人。