僕の人生での野球の役割②

こんにちは!
僕は今日の昼からお盆に入りますので、甲子園見まくります!笑

さて今日は先日の続きで、僕のこれまでの人生での野球との関わりについてお話ししていきたいと思います!

昨日の記事↓
https://note.com/milktea_31/n/n032de1ad4d03

ボーイズに入団して、軟式のボールから硬式のボールになりました。
僕の打ち方はどっちかというと硬式向きで、凡打だともちろん手が痛くなりますが硬式の方が打ちやすかったです。

硬式のクラブチームは小学生の時主力だった子が入って来て同級生のレベルも上がりました。
一年の間はなかなか練習について行けなくて、辞めようとも考えました。

3年生がチームを抜けて、練習の時にどうしても上手く打てない状況で監督が
「バスターで打ってみろ」
と言ってくれました。

バスターとはバンドの構えから打つというもので、相手のバンド守備の裏をかく時に使う事が多いものです。
小柄なタイプの選手がたまにランナーいなくてもバスターで打ってるのは見た事ありますが、僕はガッチリな体型なので相手からしても中々珍しい存在に一時期なりました。

見栄えはともかくバスターで打つ事で面白いようにバットにボールが当たりました。
バスターで打つ事で、打席内での余計な動作がなくなりコンパクトに打つ事が出来るようになっていたのではないかと思います。

一個上の世代は、怖いだけではなく実力も凄かったので僕らの代は誰もスタメンになれませんでした。
ただ何人かベンチ入りみたいな感じで上の試合についていくみたいのに、初めて呼ばれるようになりました!
先輩らの最後の公式戦も僕は代打で強烈なライトゴロを打ってその時先輩達がよく打ったなと褒めてくれたのがめっちゃ嬉しかったです。

先輩らが抜けて僕らの世代になって2年の秋ぐらいから春にかけて僕の野球人生で1番調子良かったです!

新チームでも上位打線を打つ事が多く、この期間の打率は5割超えていたと思います。
投手のくせをみにくのも得意で、盗塁も足が遅いわりによくしていました!

しかし、3年になるとあまり打てなくなりスタメンもはずされていきました。
クラブはしょっちゅう大会があったので、背番号をもらう機会が多かったのですが最後の公式戦になんとか背番号一桁がほしくて結構練習しました。
結果背番号9をもらう事が出来て、努力は報われるだなぁと感じました!

中学の時は、大阪の私立からもスカウトきたりして結構いい思い出が多いです!

明日は高校時代のお話しをしていきます!

ここまで読んで頂きありがとうございます!
明日もぜひよろしくお願いします!


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