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自分の発信以上に大切な仕事とは?

…そんなん、ねぇよ!!!!!!!

というのが率直な感想でございます。

自己発信というのは、「ここにいるぜぇ!」というのを示す自己表明手段であり、コミュ障にとって最高の営業手法であり、自分の心の健康を保つために必要不可欠だと思うねんな。

インターネットを中心にまわる今、発信しないと見つけてもらえない世の中だからこそ、逆に発信することで誰かの目に留まる。

だーらだーらベッドのなかで書いたnoteが不特定多数の人に読まれて、誰かを元気にできるかもしれないってすごいことだよね。ミラクルよね。

最近では住んでいるソーシャルアパートメントにまつわる、こんなnoteを書いたのだけど、話してみたかった住民の子に「文章に惚れた!」と言ってもらえたので、マジコミュ障だけど文章書けて良かった!!と心から思うなどしたよ。

でもこのnoteも、もとはと言えば、ソーシャルアパートメントの周年祝いの文化祭のために執筆したものだったので、この現在における、おしりを叩かれないと自己発信できてない感じが無理すぎる!!!と思って筆を取っている。

最近は本当に仕事が忙しくて、毎日のように執筆と編集に追われ、それ以外ではソーシャルアパートメント関連のイベントに参加したり、整体やサウナなどの身体のメンテをするだけで精いっぱいで、発信まで気がまわらなかった。

でも、改めて久しぶり(まぁわたしの場合は1週間とか2週間とかの短いスパンかもしれないが)にnoteを書いてみて、やっぱり自己発信は生きるために必要だし、何よりも優先すべきだなって思ったんよ。

現に今電車のなかで書きながら、「俺!!!生きてる!!!!」って感じがしてるし、何か発散できている感じがしていてスッキリしている。

思うのは、特に喋るのがヘタクソな人ほど、内に秘めてるものが多いというか、クソデカ感情を抱え込みがちなので、発信しないと死んでしまうと思うんよな。

現にわたし、死にかけてますもん。それは忙しいってこともあるけど、たぶん自己発信が足りてなかったのもある。

叫びてぇ〜吐露してぇ〜でも時間がねぇ〜という感じでここまで来てしまい、負のループに入っていた。

よく、「そんな忙しくてようnote書けますね」と驚かれるけど、ちゃうねん。自己発信することで発散するから生きてられるんよ。

書いて、誰かに届けて、「はぁ今月もいっぱい吐き出したわ、あわよくば誰か救われろ」って感じなのよ。

だから今、原稿の〆切に追われながらnote書いてるけど、なんかそれはもう別物なのよな。これは仕事ではない。友だちにLINEしてるような感じ。

今月は本当に発信ができなかったので、もうちょっと意識して時間を作りつつ、自分を取り戻してゆきたい。

なので、またお気軽にふらっと遊びに来て、ふらっと読んでいってくださいね。ぜひぜひ。お待ちしております。

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