身近な人ほど夢を邪魔するのはなぜ?
今日、池井戸潤さんの小説・『下町ロケット』のモデルと言われている植松電機の植松努さんのTED(プレゼンテーション)を聴いた。
https://youtu.be/gBumdOWWMhY
タイトルは、『思いは招く』。英語だと、『Hope invites』。
このあまりにストレートすぎるタイトルにまずドキリとした。
内容は、端的に言えば、幼い頃にアポロ着陸の瞬間を見て興奮していたおじいちゃんを見て、漠然と『ロケットを作りたい』という思いを抱いた植松さんが、夢を描いてから今に至るまでのお話だ。
そのなかで印象的だったのが、「どうせムリ」の話だ。
夢の話をすると、誰もが口を揃えて「どうせムリ」だと言う。
植松さん自身も、「ロケットを作りたい」という夢を散々批判され、先生にも冷たくあしらわれ、ひどく傷つきながら歩いてきた。
でも、おかしなことに、「どうせムリ」と言うのは、ロケットを作ったことがない人なのだ。
なぜ、やったこともない人が夢を否定し、道を阻み、邪魔をしてくるのか。
それは、ある意味で夢を抱いているその人が眩しいから、妬ましいから、自分より秀でるのが許せないから。
この、ドリームキラーたちのせいで、おそらくたくさんの人が夢を諦めてきたことだろう。
やめたほうがいいよ、どうせ無駄だよ、きっと大変だよ、なんて根拠のない言葉を並べてくる。
でも、本当は誰だって夢を叶えられるはずなのだ。
生まれたとき、誰もが果敢にいたずらをしまくっただろう。木から飛び降りて怪我をしたり、何時間もアリを観察したり、延々と同じ遊びをしてみたり、本来、誰もがあきらめることを知らなかったはずなのだ。
ドリームキラーたちの声をシャットダウンするのは難しい。でも何より、自分たちがそういうドリームキラーにならないようにすることもまた、大事なんだと思う。
きっと、知らず知らずのうちに何気ない言葉で誰かの夢を殺している。
心配しているつもりが、その人のジャンプを止めてしまっていることもあるかもしれない。
そんなとき、植松さんが勧める言葉が、「だったらこうしてみたら?」という言葉。
人の可能性が、どうして人にわかるだろうか?
まずは、夢を否定しない。無理と決めつけない。
そんな言葉の改革から、みんなが思い思いに夢を叶える世界になっていくのだ。
…という、ただのTEDの要約でした。