いつまでも一緒の夏休み
小さい頃、友達と離れるのが嫌で、親が迎えに来た時に駄々をこねてなんとか泊まらせてもらったことが何回かある。
そしてそれは、次の日のことを考えなくても良い夏休みの真っ最中なことが多かった気がする。
カーテンの裏に2人で隠れていないふりをしたり、パジャマを借りて、『着替えちゃったからもう外に出られないよ』なんて言って親を困らせた。
普段は明るいうちにしか会えない友達と夜を過ごし、いつもより辛いカレーを食べて、馴染みのない香りがする布団に潜ってドキドキとしたりした。
それが、いつからか、友達といくら会っても、いくら泊まっても許される世界になっていた。
わたしは今、小学校の時からの親友と月2回くらいのペースで会っている。
今日も仕事帰りに一緒にしゃぶしゃぶ温野菜を食べて、明後日にうちに泊まりに来る約束をした。
たったそれだけのことが、当たり前のことが、未だに嬉しくてたまらないのだ。
中学生の時にわたしは4年間アメリカに住むことになった。4年間の中で、その子に会えたのは、毎年の一時帰国の一夏だけ。
そうして、毎年8月が終わる度に
『また来年ね』
と別れを告げた。
殺伐としたアメリカ生活の中で、長い長い思春期の1年が巡るのを待ち侘びた。
でも、今はいつでも会える。
それはやっぱり『特別なこと』だと思うのだ。恋人でも、家族でもない、不確かな関係の人とわたしは人生の半分以上を一緒に過ごしている。
きっと生活が変わってしまったら、彼女が結婚してしまったら、また会えなくなってしまうんだろう。
『私にはあなたがいてくれたらそれだけでいいよ』
と言ってくれた彼女にも、きっといつか。
それまでは、わたしはこの、いつ終わるかわからない夏休みを彼女と一緒に過ごせたらいいな、と思う。
そんな夏休みの途中。