しゃしゃりでる勇気
会社員っていいな、と思わせる出来事が時たまあって、でもそれは会社員のうちには気付けないことで、だからわたしはここに書き記しておかなければいけないと思う。
まず、お掃除。
小学生のころを思い出してみてほしい。
毎日掃除当番が決められていて、ホウキの日はラッキーなんて思って、雑巾掛けの日はテンションが下がって、でもまあ決められたことだから何の疑問も持たずにやるだとか。
今の私は「外注してしまえばいいのに」と思いながら雑巾を手に取って、蛇口をひねり、冷たい水を薄汚れた雑巾に染み込ませて、赤くなった指先に力を込めて雑巾を絞っている。
働く場所がいつも綺麗であること。それは当たり前ではないこと。誰かの力によって清潔が保たれていること。
自由に使わせてもらえる備品。お金がなくてもコピーができる機械。ちまちまと10円を払ってコピーをする今、それは当たり前じゃないのだと思い知る。
「しゃしゃりでる」っていつからやらなくなるんだろう。
「誰かやる人ー!」
と先生が教室に投げかけたら、受け取る人は結構多くて、はいはーい、と手を挙げてその責務をまっとうしたはずだけれど。
大人のほうがヘタしたらそんな勇気がない。
「わたしがやります」
その一言に、どれほどの重い決意が込められているのか。
とにかく自分たちでやらなくては何も始まらない空気のなかで、わたしは手をあげた。
やらなきゃと思ったし、やりたいと思ったし。
“きっと誰かがやってくれるから”
そんな共通認識の中で、その誰かにならなければいけなかったのは他でもない自分。
あたりまえじゃないこと。
自分が手を挙げることではじまること。
しゃしゃりでると打たれるなか、しゃしゃりでないと発見されないこともある。
すべてが与えられてもなお、しゃしゃりでることができるか。
わたしはきっとできなかった。
やるしかない、そんな状況に立たされてはじめて手を挙げられた。
個人で生きることは、サバイバルで、後戻りなんてできなくて、生きるしかない。
手を挙げる。自分の存在を示す。
ちょっと勇気がいるけれど。
自分が動かなくちゃ始まらないこともあるんだと、小学生のころに戻った気持ちになった。
他でもない自分が。