俺は意識低く生きるぞジョジョォ
わたしはこれからのニュートレンドは「意識低い系」だと思っている。
なんというか、各所で発信されている「これをやるべき」「仕事の出来ない人の特徴」「うんちゃらかんちゃら」に完全に疲弊したっぽい。
いや、私もTwitterをはじめたころはそうだったんですよ。
ぜってー誰にも負けたくねえって息巻いていたし、時間を一分一秒たりとも無駄にしちゃいけないって思ってたし、ビヨンドザ・フューチャーって感じで、何も知らない他の奴らとは違うんだぞって思ってたよ。
でも、結局みんな生きてきた道筋も違うわけだし、正攻法はないし、誰かのサクセスストーリーは自分には当てはまらないわけだし、真似っ子しても疲れちゃったりして。
「いいなぁ」って憧れはあっても、いろんな前提条件をすっ飛ばして上澄みだけ掬っても意味ないわけなんですよ。
わかりやすい例が、「睡眠時間は7時間が望ましい」ってやつで、それを私に当てはめちゃうと眠くて、結果10時間ぐらい必要だったりして。
有名なポモドーロテクニックなんか、途中で作業を中断されちゃうとイライラしてふて寝しちゃったりして。
先々のキャリアから逆算して今を考えてみたら、割と大切な無駄なことだらけで卒倒しそうになっちゃったりして。
そうやって上へ!!もっと上へ!!ってバタバタもがいてみても、疲れちゃったわけですね。わたしの場合。根がのんびりやさんだから。たぶん、全然上昇志向っつーものがなかったんです。
だったらわたしはそのへんでのんびりスヤスヤ寝ている猫ちゃんとかを見て、「へっ、わたしのほうが働いてるじゃん」なんて思いたいわけですよ。
ハードル低ーく生きたいわけです。
今の私のフォロワーさんが果たして私に何を求めているかわからないけど、わたしはゆるりふわりと発信していきたいなと思っている。
こんな体たらくて怠惰で面倒くさがりなわたしですら何とか生きてますよって言いたい。
でもね、もう大切なものを犠牲にしてまで何かに捧げようとは思わなくなってしまったんです。
わたしがたった5年だけでも社会で働いて感じたのは、心を大切にしないと何も生まれないということ。
実際に、身を粉にして働いていたときの記憶は朧げで、こんなふうに文章すら書けない状態でした。
そんなわたしにもう一度筆を握らせてくれたのは、このゆったりとした時間や、やさしい人たちや、ワクワクする出来事だった。
生きるためにはたくさんのことが必要だけど、絶対に心だけは殺してはいけないと思う。
もちろん時は「がんばりどき」って言うものがあって、そのときはエイッと気合いを入れたりもするけれど、たっぷりの栄養をとって、たっぷり休んで、毎日笑って過ごしていたい。
そんなフェーズを迎えたみたいです。
まあそうやって生きるためにもいろいろと必要なわけなんですけど。
そうやってかつてのわたしみたいにちょっと疲れている人にそっと寄り添えるような文章を紡ぎたいと願うばかりです。
波に乗り遅れても、自分のペースで進んでいけばいいと思うよ。