「難しそう」とか、ぜんぶ妄想乙
とある資格勉強をしようと思ってテキストを取り寄せたまま、1ヶ月が過ぎていた。
テキストが思った以上に分厚くて、「難しそうだなぁ」となんだかやる気が起きないまま、本棚の奥に仕舞い込まれていたのだ。
でも、今回まとまった時期があったので、そろそろやるか、と手を付けたらめちゃくちゃ簡単で、1時間くらいでサクサク読めてしまった。
1ヶ月間、躊躇していた時間ってなんだったんだろうって。
そうやって知らず知らずのうちに自分で自分の可能性を潰しちゃっているものが、きっと世の中にはたくさんある。
「あの人怖そう」
「この仕事は大変そう」
「この国は危険そう」
「この野菜はまずそう」
「この本は面白くなさそう」
「この技術って難しそう」
妄想乙ですわ。
「〜そう」ってすごくもったいない言葉だ。自分で触れたことも見たこともないことを、妄想だけで適当に補完してしまう。それってめちゃくちゃ怖くないですか。私は怖い。
たまに、「ライターって難しそうだけど私でもできますか?」という質問が来たりするけど、そんなの、人それぞれだし知らないよ!!!!と叫び出したくなる衝動に駆られる。
「文章を書くのが好きなら、苦じゃないと思いますよ」と返しているけど、おそらくその人のなかではむくむくと妄想が膨らんでいるのだ。自分がやったことのない「ライター」という仕事に対する不安な妄想が。
「よくわからないもの」に対して、人は主観で決めてしまいがちである。事実はどうであれ、妄想のなかで「難しそう」なものは難しいし、「簡単そう」なものは簡単そうに見えるのだ。
そして、その答えを知るのは実際にやってみた人だけ。
「よくわからないもの」に勇気を出して触れてみた人だけが、「やってみたけど、私には難しかった」と言うことができるのだ。
となると、「〜そう」で溢れているこの世界は、はんぶん妄想でできている。
ねぇ、本当は難しくないかもしれないよ。やってみたらめちゃくちゃ楽しいかもしれないよ。
やってみようよ。別に何も失わないんだから。