人の好意を全力で受け取るという長所
これがまさか自分の長所になるとは思わなかったけど、改めて考えてみても、やっぱり長所だと感じるので書き残しておこうと思う。
人の好意を全力で受け取ることに長けている。
それに気づいたのは社会人になってから。
靴を脱いで上がるお座敷タイプの席で食事をしたあと、一緒にいた男性がスッと靴箱から出してくれた靴を普通に履いたらしかったときが顕著だったかもしれない。「ゆきちゃんがナチュラルに履いたから、リアル姫だなと感じた」と言われて、やべーーー普通に履いたわーーーーと思ったところからだ。
普通だったら、「うわぁぁすみません!ありがとうございます!!」と恐れ慄くのかもしれないけど、私の場合、「えーサンキュー!」ぐらいのノリで履きやがったというところだろうか。
とにかく、人の好意を享受するということに関してまったく遠慮がない。
私自身も、「悪いですよー」と言われるよりも、「えー!ありがとうございます!」と言われたほうが気持ち良く奢りたくなると感じるので、こういうときは無遠慮にいくのが正解だと思っている。
一方で、「いや、その好意は当たり前じゃないし、もっと恐縮すべきなのでは」というお声もある。きっと、ある。
ただ、気付いてしまったのは、これが一種の才能であることだ。通常の人が恐れ多いとかんぎるところを、さも当たり前のように享受できる能力。
遠慮しがちな日本人が多いなかで、これは稀有なのかもしれない。…とふんぞりかえるわけでもないけど、やはり好意というのはストレートに受け取ったほうが相手を気持ちよくさせると感じる。
たとえば、「やってあげようか?」と声をかけるとき、こちらの心は決まっている。やってあげたい。だから声をかけるのだ。そのためにある程度の準備はしている。そのうえで声をかけている。
それを「大丈夫です」と跳ね除けられるのは、ちょっぴり寂しい。もちろん声をかけられた張本人としては、手を煩わせたくないという気持ちもあるのかもしれないが、腹を括って声をかけた人からしてみれば、少し拍子抜けなのだ。
「あ…そっか」と差し伸べかけた手を引っ込めるしかない。
そんななか、人の好意に全力で甘える私がいる。よくわからないけど、善意で声をかけてくれているのなら応えたほうが相手は喜ぶと思う。逆に迷惑をかけるかもと考えあぐねて辞退するほうが、好意を踏み躙るというものだ。
この、人の好意に全力で甘える、というのはこれまでずっとずっとやってきたことで、わたしの唯一の処世術かもしれない。
我慢して遠慮して「大丈夫です」と言うよりも、「えー!いいんですか!ありがとうございます!」と、気持ち良く受け取ってみる。
それだけで、相手の心はきっとほぐれていく。
遠慮すべき場面を間違えない。謙遜ばかりがいいことじゃない。これはぜひ胸に留めておいてほしいことだ。
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