私たちはみんなバチェラーなのである
何を言ってるんだかわからないかもしれないけどまぁ聞いてくれ。
わたしはAmazonプライムで配信されているバチェラーシリーズが大好きだ。
「たったひとりの運命の人を選ぶ」というシンプルなテーマのなかで生まれるバチェラーの葛藤、「我こそは!」という女性たちのギラギラ感…ローズを巡りめくるめくドラマが繰り広げられる様は側から見ていて本当に面白い。
どこか非日常感ある絢爛豪華なデートを楽しめたり、推しを決めて応援したり、女の子やバチェラーに感情移入して苦しんだり、さまざまな楽しみかたがあると思う。
一見、バチェラーが「選ぶ」と思われがちだが、実際には女性だって選ぶ側である。応募段階ではバチェラーのスペックしか見れないわけで、もちろんそこで恋に落ちる女性もいるかもしれないが、とはいえリアルな人間性に触れないことにはその人の本質はわからない。
だから、バチェラー参加者全員がバチェラーのことを好きだと思ったら大間違いだ。旅のなかで、「この人と結ばれたらどうなるだろうか?」とデートを重ねて想像するのは女性も同じ。
最悪、旅の最後になってもバチェラーのことを好きになれない女性もいると思う。
顔よし、性格よし、お家柄よし、と誰もが羨むバチェラーだって、全人類に好かれるとは限らない。スペックだけで恋が成り立つのなら、あとはバチェラーの気持ちさえ揃えば良いけれど、早々うまくいくもんじゃない。というかそんなうまくいってたらバチェラーには出ないから。
そして、それは視聴者にしてみれば若干透けてしまうものでもある。「あー、この子あんまり好きじゃないんだろうな」というのがわかる。しかし番組に出る以上、最後まで「好き」をまっとうしなくちゃいけないわけだから、出演者側も楽じゃない。
最悪、「誰とも結ばれない」ことだってありえる。いくら番組だろうが、仕事だろうが、人を好きになるってそんなに簡単なことじゃないので、期間内に恋が芽生えない可能性だってある。
むしろちゃんとなんとか結ばれてきている今までのバチェラーシリーズは奇跡といって良いほどだ。(結ばれたあとはさておき)
そのうえで何が言いたいかというと、わたしたちの恋愛だってまったく同じだということ。
これまで高みの見物とバチェラーシリーズを楽しんでいたわたしの身に「結婚を考えていた人との別れ」というイベントが降りかかってきてから、ちょっとだけバチェラーを見る目が変わった。
バチェラーはいろんな人とデートをしないといけないので、見る人によっては「あの子にもこの子にも甘い言葉を吐いてなんなんだ…」とイラついてくるかもしれない。
でも、わたし自身がいざいろんな人と会ってみて思うのは、「これは試しているだけなのだ」ということだ。
自己肯定感の低い人にありがちなのが、「こんなわたしなんかと付き合ってくれてありがとう」という「選ばれた」発想だ。それは、持っている選択肢が少ないからこそなのかもしれないし、相手がモテる人だと錯覚しているからなのかもしれない。
わたしにもそういう時期があった。相手のスペックを見て、好いてくれていることを感じて、「こんなわたしを好いてくれているのだから応えなくては」となんとか恋愛感情を育もうとした。
でも、「選んでもらえた」と思っている限り、そのまんまのパワーバランスで関係が構築されてしまうし、何より自分があまり幸せではないと気付いた。
フリーになった今、何人かとお茶をしたりごはんを食べたりすることがあるが、デートを楽しむのはもちろん、無意識下でチェックをすることがある。
まず、自分の大切にしている価値観を曲げずに済むかどうか。
価値観をすべて擦り合わすのは難しいにしても、「譲れないもの」というのはある。そこを妥協せずにいられるか、あるいは譲歩できるかどうかはすごく大事だ。
たとえば、友人の場合は「家族を大切にしているかどうか」が最重要項目だと言っていた。これは人によってさまざまなものがあると思う。
次に、自分の好きな自分でいられているかどうか。人は関わる人によって変わる。一緒にいることで背伸びをしたり、無理をしたりと無意識に頑張ってしまう相手といることは緊張するばかりで心地よくはないし、そんな自分は好きじゃないから。これも大切だ。
そして、最後に来るのが「この先一緒にいるため」のスペックだ。仕事や金銭面といったもの。「付き合う」には必要じゃないけど、「共に過ごす」なら必要なもの。
そもそもの大切な価値観が違うのなら、きっとどんなに長い時間を過ごしても相容れない。正直これは一度会うだけでなんとなくわかる。
こうしてみると、たった一度のデートでも、自分が相手のいろんなことを見ていることがわかる。もちろん、自分は選ぶ立場ではない。
でも、決して選ばれる立場でもない。
そんな「バチェラーマインド」でいろんな人と会ってみると、だんだんとその人の本質的な部分が見えてくるから面白いし、「選ばれるために」「愛されるために」余計なことをしなくていいから、自分の好きな自分のまま、好きになってもらえる可能性が高い。
もう一昔前だけど、いろんな雑誌でよく「愛され女子」なる特集が組まれていた。ゆるふわな巻き髪、シフォンスカート、ナチュラルメイク。当時は何も思わなかったけど、今見るとまるで男性に「見初められる」「選ばれる」ための特集だ。
いやいや、わたしたちは選ばれるんじゃない。鎧をひっぺがして相手の中身をちゃんと見て、価値観を擦り合わせて、本音で対話するのだ。それがバチェラーでいう「向き合う」という言葉の裏に隠されている。
ひとりでもまぁまぁ幸せだからこそ、どうせ一緒にいるなら自分の好きな自分でいられる人がいい。そんな気持ちで今日も向き合いたい。