しあわせのために悩むとき、あなたはしあわせじゃない
周りの人が、はちゃめちゃに悩んでいる。
常に同時並行で4人くらいのお悩み相談に乗っており、1つが解決しても、またしばらく経ったら新たな悩みが生まれ…なんだかもう無限ループみたいな状態になっている。
なぜ、人は悩むのか。
それはきっと、不幸になりたくないからだ。
自分のくだした決定が、自分を苦しめることになるかもしれない。
そんなリスクは取りたくないからこそ、後悔しないようにトコトン悩む。
もちろん、悩んでいいと思う。気が済むまで悩めばいいと思う。
ただ、個人的には悩む時間は最小限にとどめたほうがいい気がする。
なぜなら、悩んでいるあいだ、その人は自分のことをきっと、しあわせだと思わないからだ。
どこにいても、何をしても、モヤモヤがつきまとって離れない。
しあわせになるにはどうしたらいいのかを悩んでいるその瞬間、あなたはきっとしあわせじゃない。
それってちょっともったいないな、と思う。
それに、いろんな悩みを聞いているとわかるのだが、答えは最初からその人のなかにあることのほうが多い。
その答えが正しいのかを確かめるためにいろんな人に相談して、安心材料を揃えたいだけなのだ。
だから、その人が是としないことを支持すると、「そうかなぁ」なんて言って、また別の人から安心材料をもらいにいく。
または、第三者に相談することで自分を客観視できるようになったり、整理することができるから、自分の思考がクリアになっていく。
でも、結局、相談しようがしまいがその人の心はそこまで変わらない。
「彼氏がクズなんだけど別れたほうがいいかしら」
なんて相談に、
「クズなら別れたほうがいいんじゃない」
と返すと
「でも、いいところもあるんだよね」
なんて言う。
そして、答えに結論を出したところで、未来のことなんてわからない。
結局、自分の悩みには自分で答えを出していくしかないし、最終的に選んだ答えを正解にしていくのは自分でしかないのだ。
だったらわたしは、悩む時間は人生のなかで最小限にとどめたい。
「どれを食べようかな」なんて楽しいことで悩むことはあっても、「生きるか死ぬか」みたいな心がズドンと重くなるような悩みのために、本来ならしあわせである時間をふしあわせな時間に変えたくない。
しあわせってなんだろう? どうやったらしあわせになれるんだろう? と悩むことも大事だけど、今、ここにあるしあわせをちゃんと噛み締めてみる。
それが、世界から見ても幸福度が低い日本人ができるしあわせへの第一歩かもしれない。
P.S. でも、悩み苦しむよりは相談しなね。