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ゆぴの10分日記

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帰り道の10分間で書く独り言のような日記。よわっちくても生きてるだけでえらいえらい!
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#書く習慣

自信がないあなたへ何度でも言う、『あなたはすごい』

最近周りの友達がバタバタと闇落ちしている。 いや、闇落ちという言い方は正しくないな。仕事に疲れて心を病んでしまっている。 それで、あまりにもひどいので 『早くエスケープしなよ…!』 と言うんだけど、テコでも動かないんだこれが。 なんでかと言うと、大体鬱になってしまう人は、『完璧主義』な人が多く、完璧な理想の自分と現実の自分の乖離が許せなくてもがいているうちにだんだん病んでしまうそう。 自分はもっとできるはずだ、自分なんかが鬱になるはずがない、って更にがんばってし

note強化月間をはじめます(どおん)#書く習慣

書くぞ〜〜〜〜〜〜!! いきたりどした?という感じなのですが、昨今のわたしはリアルライフが忙しすぎてアウトプットが全然できておりませんでしてね。 リアルライフが充実しているのはいいことなんだけど、発信がないということは、オンライン上での存在がない=消えたも同然だと考えているのと、インプット過多では頭がパンクしてしまうので、何でもいいから書いていこうと思うよ。 わたしは今、「書きたいけど書けない」人に向けて伴走するサービス、「パーソナル編集者」のお手伝いをしているんだけど

自分の発信以上に大切な仕事とは?

…そんなん、ねぇよ!!!!!!! というのが率直な感想でございます。 自己発信というのは、「ここにいるぜぇ!」というのを示す自己表明手段であり、コミュ障にとって最高の営業手法であり、自分の心の健康を保つために必要不可欠だと思うねんな。 インターネットを中心にまわる今、発信しないと見つけてもらえない世の中だからこそ、逆に発信することで誰かの目に留まる。 だーらだーらベッドのなかで書いたnoteが不特定多数の人に読まれて、誰かを元気にできるかもしれないってすごいことだよね

「できない」からこそ、「これならできる!」を自分の強みに変えていけるのだ

最近嬉しいことがあったんですよ。 それは、女優・MCの寺田有希さんが、わたしをご指名してくださって、対談できたこと!! ドンドンパフパフ! もともと寺田さんのことは以前より知ってはいたものの、まさかわたしのほうに話が飛んで来るとは思わず、「何事⁉︎」となりました。 経緯としては、今回寺田さんが新しく「話し方」にまつわる本を出すにあたって、Amazonと楽天の予約特典用動画を撮ることになり、同じ出版社より「聞き方」「書き方」の本を出していたわたしに白羽の矢が立ったそう。

正常な判断をするために、わたしは健康でいるのよ

12月です。忘年会ラッシュです。 わたしは何気にお酒が飲めるほうなのですが、先日はあまりに疲れ果てすぎてウーロン茶で済ませました。 コミュ障のわたしがです。酒に頼りがちなわたしが、です!!!! 何が言いたいかというと、それほど疲れているということです。 師走。ただでさえ業務が立て込んでいるところに、忘年会がドカドカ入るわけですから、体力ゲージは削られていくばかり。もちろん、楽しいから行くんだけどもね。 ところで、ADHDは疲れやすいというのをご存知でしたか? 多動

うまくしゃべれるようになりますように

「うまくしゃべれるようになりますように」 青森県の十和田現代美術館のなかにある展示物のひとつ、「念願の木」にそんな願いが書かれている短冊がぶら下がっていた。 そういえばわたしもそういうふうに願っていた時期があったな。 「うまくしゃべる」というのは難しい。相手の話を聞いて相槌を打っているのはいいけれど、いざ自分のターンになると頭が真っ白になってしまう。 その根底には、「自分の話なんておもしろくないし」という自信のなさがある。誰にも聞いてほしくないのである。こんなつまんな

他人から注意されるってウザくない?

今業務委託で入っている会社があるのだけど、わたしはすごく迷っていた。 「ここ、こうしたほうがいいんじゃない?」 って言うかどうか。(どぉん) そもそも、わたしは会社員生活のなかで、これまで後輩とか部下とか、そういう存在がいたことがないに等しい。 いや、会社員どころか、部活も中1で辞めてしまい、バイトも長続きしないタチなので、「後輩」という存在に出会ったことがない。大学時代の後輩は形だけで注意とかしないし…。 そんなわけで、迷っていた。 基本的に何か言ってくる人って

“手の抜きどころ"を知ること。余裕を持つこと。

メンバーシップを始めるとき、noteさんにアドバイスをいただきました。 「コミュニティは頑張りすぎると大変なことになるので頑張っちゃダメですよ!」って。 で、最近わたしはメンバーシップに限らず、がんばることでうまくいかないこともあるんじゃないかと思いつつあります。 たとえばnote。マジでがんばってやろうとするとnote開くの嫌になっちゃう。連続投稿途絶えると泣きたくなっちゃう。 たとえばイベント。メンバーが言うこと聞いてくれないと喧嘩になっちゃう。一致団結させようと

「人に会いたい。でも、会うと疲れる人」への処方箋

わたしは大人数の飲み会や集まりがそんなに得意ではないのだけど、話を聞くと「えー、行こうかなぁ」となって、緊張してお酒をグイグイ飲んで何だかんだ楽しんで帰ってきて10時間寝るというめんどくさいタイプの人間である。(ここまで一息) で、なんで疲れるのかというと、それはたぶん「何かおもろいこと言わなきゃ」というサービス精神と、自分が話すときに注目されて緊張するからというのと、単に刺激をたくさん受け取ってしまうからだと思っている。 一方で、わたしの毎日は「おうちで過ごす」と「外に

ミニマリストになるなかで、自分の価値基準が見えてきた

「ミニマリスト」の定義にもいろいろあれど、わたしの場合はかなりゆるいミニマリストだと思う。 それでも、部屋にハサミやボールペンは1本ずつしかないし、本はほとんど電子書籍で靴下も全部同じものを4足…と「自分にとっての必要最低限」で暮らしているので、かなりミニマリストになったほうだ。 1週間の旅行もリュックひとつで行けちゃうくらい。 最近ぐっと冷え込んだので、衣替えをしようと思い立ったのだが、そのなかで自分の価値基準を改めて確認することになった。 それが、「めんどくさくな

いろんな場所を訪れたら、自分のなかの解像度が上がった

1年というのはざっくりと「春・夏・秋・冬」の4つの季節で区切ることができるのだけど、2022年がもう3つめの「秋」まで過ぎ去ってしまったことにびっくりしている。 この2022年前半は、わたしにとって、1番旅をした時期となった。 フリーランスであるわたしは、「いつでもどこでも働ける」はずなのに、ステイホームも相まって、家で過ごすことが多かった。あるいは、出たとしても家のある神奈川県内か、仕事のある東京か。そのぐらいの移動距離だ。 それが、春と夏だけでこれまでに行ったことの

わたしたちは選んだことを正解にしていくしかないのだ

人生は選択だ、とはよく言うけれど、「この道はどっちに行けば幸せなのだろう」と考えることがよくある。考えすぎてわからなくなる。 正直、わたしのキャリアはしっちゃかめっちゃかだと思う。 せっかくいい大学に入って「新卒カード」を手にしたくせに、「やりたいこと」が見つからなくて、全然就活をがんばらなかった。 要領も良くなかったので適当な志望理由をでっちあげることができなくて、面接では次々に落とされていった。多分、「うちに興味がない」ことがバレていたのだと思う。実際、興味のある企

みんな普通に緊張するものですよ??

これから登壇なのですが、バリバリに緊張してます。 月に一度ぐらいは登壇しているので、「いい加減慣れないの?」と思うかもしれませんが慣れねぇのだよ。 かれこれ1年ぐらいやってる車の運転だって、背筋ビシィッ!!と伸ばして前のめりで座るもんだから10分で肩凝り案件だよ。慣れない慣れない。 それでいうと取材だっていつもちょっと緊張してる。ちゃんといい話を聞き出せるかしら。ハッピーなムードで終われるかしら。変なこと口走ったりしないかしら。 そんなことばっかり頭に渦巻いてさ、もう

「自分のためにやる」と「誰かのためにやる」って同じことなんだわ

「誰かのために頑張れる人」ってすごいよなー。 わたしなんて自分のことでいっぱいいっぱいで、まわりの人のことまで考えられる余裕がないし、「誰かのためにやる」って自己犠牲のようにも思えていたから。 自分とは関係のない隣県や隣国の人のことまで考えて、ボランティアや募金をできるような人って、ある種余裕のある人だと思っている。それこそ「自分ごと」のように考えられて、心配して、手を差し伸べられる。 崖っぷちでぶら下がっている人が、同じように崖っぷちでぶら下がっている人を助ける余裕が