#8悪夢のまかない
銀座に移動して2年が経ち、3年目になるとなんだかんだ仕事もできるようになってきました。
すこしだけ伸びた鼻を折られたり、定期的にシェフにキレられて無視されたり、いろいろありますが、少しずつ仕事ができるようになってきた実感もありました。
包丁を捨てようとしていた私からすればおそろしいほどのV字回復です。
もちろん仕事はディナー営業のみににもかかわらず激務です。
メニュー構成も明らかにキャパシティオーバーです。
スタッフの力量が低いというのもありますが、キッチンの広さ、設備、保管スペース等を加味すると詰め込みすぎのメニューではありました。
シェフのよくわからないこだわりなどもあり、仕事量はそこそこあるので、この頃になると金曜日は帰れない日が続きます。
土曜日だけ12時からランチがあるので、その準備を金曜日にするのですが、そもそも金曜日の夜の準備に追われているので、後回しになり土曜日のランチの準備は金曜日の深夜にやるのが定跡となりました。
まあそれでもシェフの機嫌をそこねることに比べたらだいぶマシです。
ランチの準備が間に合わなければガチギレ確定ですし、もちろん金曜日にランチの準備に追われてディナーが間に合わなければ村八分になります。
順風満帆ではないものの、金曜日たまに頑張れば問題もおきませんし、日曜日が休みなのでなんとか踏ん張れます。
チームワークも悪くありませんでしたし。
しかしそんな平穏な日々が突如終わりを告げます。
その頃銀座にオシャレなビルができて、そのビルの中に有名なレストランがオープンします。
そしてなぜかそのお店のまかないを我々が作ることになります。
大事なことなのでもう一度いいます。
完全他のお店のスタッフのまかない(食事)を、我々が作ることになります。
悪夢のはじまりです。
14時と15時に20名分を作って尚且つ運ばなければいけません。
今現在の仕事量ですら、徹夜をしている日があるのに毎日40名分のまかないを作らなければなりません。
ただでさえ自店のまかないを作るのにスペースが無くて大変なのに、40名分をプラスで作らなければいけなくなりました。
シェフは頭がとても悪いので、仕込み量の管理がまったくできません。
気合いと根性で乗り切るタイプなので。
とある日に緊急ミーティングだと言われて、
「となりのお店のまかないを作ることになったから」と言われました。
いろいろ質問とか疑問があり、聞きたかったのですが、シェフも機嫌悪そうなうえ、目がバッキバキなので、何も言えませんでした。
これを機に帰れない日が激増します。
金曜日は確定で居残りです。
ランチ➕40名のまかないで確実に徹夜です。
週2〜3で家に帰れなくなりました。
ちなみに徹夜がバレるとキレられるので、
帰ったふりをして戻ってきてます。
一応説明しておきますが、何かこちらで問題が発生したりイレギュラーなことがあればキレられます。なんならシェフが知らないことを質問するだけでアウトですし、シェフ自信が失敗するとなぜか我々がキレられます。
常にキレられます。
徹夜などバレたら、「なんで終わらないの?」
と、おそろしいほど詰められます。
なれない大量調理に、明らかなキャパシティを越えた仕事量。
そして理不尽にキレるシェフ。
こうして90年代の阪神タイガースなみの暗黒時代に突入します。
この頃は家に帰るということが珍しいこととなり、
新橋のサウナに行きまくりです。
もう帰れないというより終わらないので、そもそも寝れなくなりました。
24時に帰ったふりをするため、そのままサウナに直行して仮眠して、深夜2時頃に出勤して、そのまま仕事してました。
まかないを作るのも全然楽しくなかったですし、本当に嫌でした。
辞めればよかったのですが、まだまだ仕事も不安定だったので、自信が無くて辞められませんでした。ちなみに今なら秒で辞めてます。
こうして他店の賄いを作るという前代未聞のイベントが発生して、
家に帰ることができなくなり、常に寝不足でカフェイン飲料を大量に摂取
しながら働く時代に突入しました。
思い出すだけでも吐きそうになります。