世の中には驚くほど優しい人がいるものだ。
この歳になって、再度その事を噛みしめている。
人間は本当に、捨てたもんじゃない。
昔、理不尽な理由で命を狙われた事がある。
ごく身近な人間に。
その前後にあった様々なトラブルを経て、
極度の人間不信に陥った。
家族、親友から赤の他人まで、
全ての人の言う事を勘繰り、
”裏があるのでは?” と警戒し、
”全ての人が自分を利用しようとしている”、
”誰もが自分の事を道具としてしか考えていない” と、妄想した。
全員が敵に見えた。
人間という生き物自体に絶望し、
自分にも絶望した。
街を歩くと勝手に涙が溢れて、
「この世界で1人ぼっちなんだ」と、
心の中で叫んだ。
そこから立ち直る過程で、
瞑想に出会ったり、
自分をコントロールする為の様々な方法を身に付けたりと、
得たものは大きかったし、
それを考えれば、人間不信も無駄ではなかったのだろう。
- 愚直に信じるしかない。
だがそれは、想像を超えて難しい事だった。
一度疑う事を覚えてしまった自分には。
今でも修行が足りていない。
人生が終わる時まで、修行は続くのだろう。
たとえどんなに裏が見えてしまっても、
受け入れる努力をし続けなければ。
あらゆる人を受け入れる事は、
自分自身を受け入れる事につながる。
それは、自己否定感の塊のような自分にとって、悲願だ。
仮にまた誰かに殺されそうになったとしても、
相手を受け入れ、許せるのが理想だが、
生存本能が邪魔をして、多分無理だ。
それは無理にしても、限りなくそこを目指そう。
自分は修行が足りない。
優しい人になりたい。
最近また改めて、人生に光明を見せてくれた人々のように。
ありがとうございます! (ノД`) 頂いたサポートは、いつの日かパンを、 パンが無ければお菓子を食べればよいので、 お菓子の専門学校で作り方を習う必要性、 そうなってくると学費とか交通費、 え、ちょっと待って下さい、 紙に書いて考え直そう、そうするとやはりパン、 いやペンか、ペ