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某東京♯1

 祖母の家の最寄りの駅。岩手県新花巻駅。お土産の売店と、ぽつりと置かれた顔はめパネル、銀河鉄道をモチーフにした駅前のオブジェ、鬼剣舞の写真が並んだ待合室があった。

それしか、なかった。

見送りに来てくれた叔母に手を振り、ホームから新幹線に乗り込む。簡素なホームがどんどん遠くなり、少し心細くなった。YouTubeでも見て紛らわそうかと携帯電話を取り出すも、山の中を行く新幹線は多くのトンネルを通過し、通信環境があまりにも悪かった。仕方なく途切れ途切れの窓の外の景色に目をやると、広大な土地が広がっている。畑と、田んぼと、ぽつりぽつりと民家があって、四捨五入したら「何もない」。唐突に不安に襲われた私は、音楽を聴きながら無理やり眠りについた。

 隣の席に人が座った感覚で目が覚める。こんな平日に、人が座ってきたということは、そう思って駅の看板に目をやると、「せんだい」という文字が見えた。駅のホームは新花巻よりかなり広く、走り出した車窓からの景色は、高い駅ビル、ヨドバシカメラ、タワーマンション、見慣れたファストフードにブランドショップ。いくらか安心感を覚えた。

 そんな安心感も、仙台を過ぎるとまた不安に変わる。今度は畑に加えて、食品加工の広い工場や、遠くにいる車からも見えるように高く大きく作られているファストフード店を見ていくらか心配になる。

ここは、どこだ?

 窓際なのを良いことに、怖くなってカーテンを閉め、ひたすらSNSをサーフィンした。イヤホンでガンガンと大音量で音楽を聴く。

 「まもなく、大宮」アナウンスが流れた。

ふと顔を上げて、カーテンを開く。そこには仙台駅で見たような、いくらか見慣れた光景が広がっていた。大宮は、多少の時間をかければ自宅からも行ける距離だ。少しずつ安堵していく。

 大宮を過ぎると、私の視線は車窓に釘付けになる。

少しずつ増えていくネオン。ぐんぐんと伸びていくヒヤリとした感触のビル。低くなっていくファストフード店の看板。光り輝く街のビジョン。目の前に「東京」が飽和した時、アナウンスは品川に到着したことを告げた。品川駅に停まると、東京駅で降りる人間も準備を始める。品川と東京の間は、ほんの5分程度しかないからだ。

 東京駅のホームに立つ。たくさんの人をかき分けながら、深く息を吸う。「東京」の匂いがする。何かから吐き出される空気全てが凝縮されて、「TOKYO」という香りが気体中を満たす。

この香りを嗅いで、私はやっと強張っていた身体が緩むのだ。

 これは「東京育ち」の私が見た、「東京」という、個性と没個性の共存の街を、私が世界で1番安心感を覚える、「覚えてしまう」街で暮らす日記である。

私の1番好きなアーティストは、東京に関する楽曲内でこんな歌詞を残している。

『内面剥がして、心見せる それが東京 俺の東京』(某東京/ゲスの極み乙女)

この日記はこの楽曲のタイトルから拝借して、「某東京」と名づけることにした。上京して東京に夢を見ているわけではない。東京での生活が幼い頃から「当たり前」になっている私の、東京生活日記。

『俺は普通なんだけど普通じゃない そんな大人になりたかったんだ』(某東京/ゲスの極み乙女)

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